現代論語 序文

緒言

 私は農家の三男坊で、子供の頃から父は〈論語〉を、母からは〈報徳道〉を日常的に語り聞かされ、その事は何れ裸一貫で生家を出ざるを得ないと私をして自覚させた。

 子供の頃に聞かされた道徳観が、その後の人生で如何ほど役に立ったかと聞かれれば、其れは分からない!ただ強いて謂えば、私の心には父母から授かった〈心棒〉が有ったので、心棒を頼りに生きて行けば、差ほど曲がらずに歳月を過ごせた!と云えるだろう。

 父母は門出に当たって私に謂った。人生は経験の数だけ愉しみが益すのだから、思いっきり生きろ!

 どんな生方をするかは自由だが、泥棒と人殺しと配偶者と子供には迷惑を掛けないようにしろ!

 親の示唆を実行すべく、幾つもの職業を手掛ける道を撰んだ。大儲けをしたこともあるが、大損をしたこともある。死なない限りどれも此も愉しみの一つである!

 職業が異なれば、ものの考え方も、交わる人も、家庭環境・・・・・・・も違うので、この生き方は間違いで無かったと自負している。

 黄粱一炊の夢と謂って仕舞えば其れまでだが、三四半世紀も前に農家の三男坊として人生の登山口を踏み出したが、元気者の私も年齢には抗しきれず、足腰も弱ってきた。

 山登は無事に下山してこそ、初めて登山した!と云えるのだから!今まで何処を彷徨って居たのか・・・・・兎に角下山して、遭難者には成らない様にしよう。

  平成27年8月30日

        陋巷之野叟  本郷青蛙