現代論語 任務


 

 

 

第4章 任務に関わる章

 孔子の活躍した時代は専制君主国家体制の時代である。孔子先生は、仁徳の思想を君主→官吏→民衆→家属→個人へと浸透普及させる方法に依ったので、君主は・・・・・の構文が多い。

 現代の政治主権者には二通り有って、民主主義の場合は、民衆・・・・・個人である。依って此処に“君主”書かれている示唆は、民衆個人に適用される。

 もう一方の政治形態は、共産主義と社会主義である。
 共産主義と社会主義では、政治の主体は共産党員と共産党政権であり、国民は治められる側で、治める側ではない。 社会主義も同様で、国民は治められる側で治める側でない。
 分かりやすく謂えば、農園の作物を国民とすれば、農家の主が、共産党員か、社会党員である。 農家の主は、農園全体の収量が上がることが目的で、一株一株の野菜や果物の取捨選択は自由である。 全体としての収量が上がりさえすれば、農家経営が成功した!と謂えるのである。
 農家経営(国家経営)に支障となる株は、すぐに抜き取る事は、当然の方法である。

 或いは又、“先に立つ人”、“大物”、“立派な人”など、家庭のことに当て嵌めるとしたら“此の家の主人”としても良かろう。会社なら“社長”“会長”も良かろう。何も君主の文字に拘る必要はないのだから、それぞれの状況に応じて使い分ければよい。

 君主の対象として“小人”が出て来る。此も読者諸君が、ご自分の考えで、其れ其れの状況に応じて使い分ければよい。

 

 

学而第一の第8章

 リーダーは権威が無くては成らないし、学問をすれば考え方も柔軟になる。

 人に対して誠実を旨とし、自分より劣った人を友達にはせず、何かの間違いに気付いたら、躊躇せずに直ぐに改める。

 

【屁理屈】

 自分より劣った人を友達にした方が気楽なので、友達にする傾向がある。この事を、友達の方から見ると、自分より上の人を友達にしていることとなる。

 水でも情報でも高いところから低いところに流れるので、低い人を友達にしても、流れて行くばかりで、此方に流れては来ない。

 偶に低いところから高いところに流れてる情報も有るが、其れはろくな情報ではない。

 誰しも間違なく判断が為されるわけではない。

 偶には間違う!

 間違いは直ぐに修正しないと、段々深みに填って、取り返しが付かなくなる!

 発芽した新芽は簡単に引き抜けるが、大木になったら、自分が押しつぶされる。

 人生での間違いは、この事がとても多い!

 

  子曰:

 

「君子不重則不威,

 

學則不固。

 

主忠信,無友不如己者,

 

過則勿憚改。」

 

學而: 孔子?:「君子不穩重就不會有威嚴,經常學習就不會固執,一切要以忠信為本,不要結交不如自己的朋友,有錯誤不要怕改正。」

 

 

 

学而第一の第16章

 “他人”が自分を知ってくれないということは少しも心配なことではない。

 自分が“他人”を知らないということが心配なのだ!

【屁理屈】

 自分が“他人”に知られないと謂うことは、自分の能力不足が原因と捉えている。自分が“他人”を知らないと謂うことは、自分の情報不足が原因と捉えている。

 今の世の中、能力さえあれば他人が知ってくれるとは限らない。自分の名が知れないことの原因に、其れなりの周知活動を怠ったと謂うことも、付け加える必要がある。

 ただ孔子先生は、自分の名を広める行為は、仁徳に背く行為と謂っている。“学而篇”にその記載がある。

 

 子曰。

 

不患人之不己知。

 

患不知人也。

 

學而: 孔子?:「不怕沒人瞭解自己,就怕自己不瞭解別人。」

 

 

 

兩雄不倶立

 りょうゆうはともにたたず

 二人の英雄は、必ず争ってどちらかが倒れる

【屁理屈】

 現代社会に置き換えても、上に立つ者が二人居ると、中々難儀で、兄弟で経営するのも、途中で仲違いする事が多く、お互いに張り合ったら巧く行くのも巧く行かなくなる。

 夫婦も同じで、片方が働きに出て片方が家庭て子供を育てていればよいが、夫婦二人とも能力があると、子供をほったらかしにすることが多い。

 互に気遣いをするか互に争うか・・・

 

 且兩雄不倶立。

 

楚漢久相持不決、百姓騷動、

 

海内搖蕩、農夫釋耒、工女下機、

 

天下之心未有所定也。

 

?百姓 … 人民。

?海内 … 国内。

?揺蕩 … 動揺。

?釈 … 捨に同じ。

〔出典〕 『史記』?生伝

 

 

 

為政第二の第13章

 子貢さんがリーダーについて質問した。

 孔子先生は謂いました:

 先ず出來る事を示してから,謂うのはその後にしよう。

【屁理屈】

 不言実行と謂う言葉は誰でも識っているが、口先だけなら小学生でも国際問題を語れる。

 この事は誰でも分かっているが、民衆は肩書きと弁舌に惑わされ、対応能力のない者の弁を信ずる傾向がある。

 対応能力のない者は、最初から対応する積もりが無いから何でも謂え、民衆を惹き付けるなど自由自在。

 人の話を聴くとき、此の人には「対応した経験があるのか」「解決した経験があるのか」「解決の方策があるのか」・・・・・・・など、よくよく考えて話を聴いた方がよい。

 ただ此を判断するには、まず自分自身が学習しなければ成るまい。そうしないと、幼稚園生から借金問題の解決法を聞く事にも成りかねない。

 

  子貢問君子。

 

子曰:

 

「先行其言,而後從之。」

 

為政: 子貢問君子,孔子?:「先將要?的做出來,然後再?。」

 

 

 

為政第二の第18章

 子張は求職の方法を知りたがっていた。先師はこれをさとしていわれた。

 なるだけ多く聞くがいい。そして、疑わしいことをさけて、用心深く確かなことだけを言っておれば、非難されることが少ない。

 なるだけ多く見るがいい。そして、あぶないと思うことをさけて、自信のあることだけを用心深く実行しておれば、後悔することが少ない。

 非難されることが少なく、後悔することが少なければ、自然に就職の道はひらけてくるものだ

【屁理屈】

 大昔の話ばかりではない。現代と状況は変わっているが仁徳を標榜する者にとっては、越えられない一線がある。

 就職は相手から認められることが前提だが、求められればどんな職に就いても良いと謂うわけではない。

 

 子張學干祿。

 

子曰。

 

多聞闕疑。

 

愼言其餘。

 

則寡尤。

 

多見闕殆。

 

愼行其餘。

 

則寡悔。

 

言寡尤。

 

行寡悔。

 

祿在其中矣。

 

為政: 子張學做官,孔子?:「多聽,不要?沒把握的話,即使有把握,?話也要謹慎,就能減少錯誤;多看,不要做沒把握的事,即使有把握,行動也要謹慎,則能減少後悔。?話錯少,行動悔少,就能當好官了。」

 

 

 

八?第三の第19章

 主君と家臣が心掛けることはなんですか?

 主君は臣下に禮を尽くし

 臣下は主君に忠を尽くすことです

【屁理屈】

 親子の間でも、夫婦の間でも、同僚でも、労使間でも・・・・・人と人との係わりに於いて、その立場の違いはあっても、個人個人は皆対等で有る。

 禮の根幹は此の基本原則に沿って成り立っていて、禮を尽くす、忠を尽くす・・・・・・す行為と、名称は異なっても、お互いに相手を思い遣り、誠心誠意尽くすと謂うことには相違がない。

 孔子の思想は「禮」を根幹に据えた思想で、此は取りも直さず、人は総て平等という思想でもある。

 

  定公問:

 

「君使臣,臣事君,如之何?」

 

孔子對曰:

 

「君使臣以禮,

 

臣事君以忠。」

 

八?: 定公問:「上級怎樣對待下級?下級怎樣對待上級?」孔子答:「上級尊重下級,下級忠於上級。」

 

 

 

八?第三の第26章

 リーダーとして欠くべからざる要件

 その一 寛容

 その二 誠実

 その三 哀悼の情

 この三っに欠けている者は、見どころのある人物には見えない

【屁理屈】

 寛容と誠実と哀悼の情を具えるにはどうすればよいか?寛容でいられるには、相手の先の先まで見越していないと、心配で心配で、とても寛容には成れない。

 

 誠実と不誠実では、どちらが物事に有利かと謂えば、目前のことなら不誠実の方が有利である。

 目前の対応を図るなら、腰を落ち着けるほどの能力は必要としないが、解決できる成果は腰を落ち着けるよりは少ない。

 ただ腰を落ち着けて対応すると、誠実の方が有利になり、不誠実の方が不利になる。

 腰を落ち着けて対応するには、相応の知識と能力が必要であるが、解決できる成果は不誠実よりは多い。

 ただ一度不誠実な対応を為してしまうと、相手に見破られて警戒され二度は出来ない。誠実な対応は、相手の好感も得られて、何度でも継続できる。

 

 哀悼の情は「禮」の表現手段の一つで、その内面の心情は他者に對して偽りようがない。

 哀悼の情は獣には乏しい“ひと”特有の感情で、哀悼の情がないと謂うことは、死者に對して獣と同様の対応をした!とも謂え、其れは自分が獣と同じという事でもある。

 

  子曰:

 

「居上不ェ,為禮不敬,

 

臨喪不哀,吾何以觀之哉?」

 

八?: 孔子?:「作為領導對群衆不ェ容;對規章不嚴肅;?喪事不悲哀我怎能看得下去?」

 

 

 

桃李不言、下自成蹊

 とうりものいわずとも、したおのずからこみちをなす

 桃やすももは何も言わないが、実が美味しいので人が集まり、その下には自然に道ができる。りっぱな人のもとにも自然と人が慕い集まる

【屁理屈】

 人は自分の益になる物事を探し求めている。

 美味しい饅頭があると聞けば、人は集まり、人の師も、・・・・・・・・

 宣伝しなくとも、ひとりでに集まってくるものだ!

 

  余睹李將軍悛悛如鄙人、

 

口不能道辭。

 

及死之日、天下知與不知、

 

皆爲盡哀。

 

彼其忠實心誠信於士大夫也。

 

諺曰、桃李不言、

 

下自成蹊。

 

?李将軍 … 前漢の武将、李広。

?睹 … 見る。

?悛悛 … 慎重で重厚な様子。

?鄙人 … いなか者。

?道辞 … ことばを言う。

?誠 … 確かに。

?蹊 … 小道。

〔出典〕 『史記』李将軍伝賛

 

 

 

里仁第四の第5章

 人は誰しも富裕になりたいし、また尊貴にもなりたい。しかし、正道を踏んでそれを得るのでなければ、そうした境遇を享受すべきではない。

 人は誰しも貧困にはなりたくないし、また卑賤にもなりたくはない。

 然し、道を誤ってそうなったのでなければ、無理にそれをのがれようとあせる必要はない。

 君子が仁を忘れて、どうして君子の名に値しよう。

 君子は、箸のあげおろしの間にも仁にそむかないように心がけるべきだ。

 いや、それどころか、あわを食ったり、けつまずいたりする瞬間でも、心は仁にしがみついていなければならないのだ

【屁理屈】

 上に立つ者はただ漠然とその地位に安住している訳ではない。其れには其れだけの心遣いと注意が必要である。

 注意を怠ったならどうなるのか?何れは地位を去らなければならなくなる。ずっと何時までも会長や社長では居られなくなる。

 それにしても孔子先生間示唆は厳しいです。

 

 子曰。

 

富與貴。

 

是人之所欲也。

 

不以其道。

 

得之不處也。

 

貧與賤。

 

是人之所惡也。

 

不以其道。

 

得之不去也。

 

君子去仁。

 

惡乎成名。

 

君子無終食之間違仁。

 

造次必於是。

 

巓沛必於是。

 

里仁: 孔子?:「富和貴,人人嚮往,不以正當的方法得到的,不要享受;貧和賤,人人厭惡,不以正當方法擺?的,不要逃避。君子?掉了仁愛之心,怎?算君子?君子時刻不會違反仁道,緊急時如此,顛沛時如此。」

 

 

 

里仁第四の第11章

 社長が「謙虚」と「勤勉」と「慈愛」と「誠実」と「寛容」に基づいて会社を営めば、従業員は安心して仕事に励む。

 社長がノルマで使えば、社員は報酬ばかりを期待するようになる。

【屁理屈】

 確かにその通りだが、果たして此が実行できるか?と云う問題がある。国内だけの競争ならまだしも、国際競争に晒される企業は多い。他国の経営者が労働者をどの様に見ているか?

 國によって文化も異なり、“飯を食う機械”程にしか考えていない企業経営者も多い。

 世界的な趨勢として自由が標榜されているが、自由とは自由な競争もその範疇に入る。自由は能力の多い者には有利だが、能力の乏しい者には厳しい対応を迫られる一面がある。

 日本国内には、孔子の示唆する企業が無いわけではないが、海外との関係もあるので、状況は厳しいと謂わざるを得ない。

 世界の人人よ!人の幸せはお金では買えないことを知るべきだ!幾ら貯め込んでも、資産簿の桁数が増えるだけです!資産簿の桁数は、同じ人間の血と汗と涙の結晶です。

 

  子曰:

 

「君子懷コ,小人懷土;

 

君子懷刑,小人懷惠。」

 

里仁: 孔子?:「君子心懷仁コ,小人心懷家?;君子心懷法制,小人心懷實利。」

 

 

 

里仁第四の第14章

 地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。

 また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい

【屁理屈】

 自分を心配するには先ず、自分が其れに対応出来る丈の能力を備えていなければならない。

 話題は飛ぶが、する気もないのに心配する人を見掛ける。有るドラマの名台詞がある「心配するなら金をくれ!」

 自分では対応する丈の能力がないにも関わらず、心配をする其の本質は、相手への厚意ではなく、自己満足の行為で、何も出来ない自分への言い訳と気休めである。

 受ける側として実体のない心配は、辱めの言葉でもある。

 

 子曰。

 

不患無位。

 

患所以立。

 

不患莫己知。

 

求爲可知也。

 

里仁: 孔子?:「不要擔心沒有地位,要註意做人的立場;不要怕沒人瞭解自己,要想法使自己容易得到理解。」

 

 

 

里仁第四の第24章

 君子は、口は不調法でも行ないには敏活でありたいと願うものだ。

【屁理屈】

 孔子先生は、上に立つ者は口先よりも実行力が必要だ!と謂うけれど、判断する側の民衆は彼の能力を見抜けず、口先男(女)の言葉を信じ込む者が多い。

 俳優さんは賢いからそんな悪戯けはしないが、もしも俳優さんがその気になって民衆を騙そうと思ったら、簡単に出来るだろう。

 口先だけなのか、実行力があるのかを見極める能力は、社会生活を営む上でとても重要な能力である。

 民衆がお馬鹿さんだと、国家が潰れるかも知れません。

 

 子曰。

 

君子欲訥於言。

 

而敏於行。

 

里仁: 孔子?:「君子要言談簡潔,要行動敏捷。」

 

 

 

公冶長第五の第15章

 子貢さんは〈孔文子〉さんに、〈文〉と謂う立派な名前が付けられたのは何故ですか?と、孔子先生に尋ねた。

 孔子先生は、謂った。

 〈文〉君は頭が良く向学心が有り、知らないことを目下の者から教えられても恥と思わなかったから、〈文〉と謂う名前が付いているのです。

【屁理屈】

 人類が食物連鎖の頂点に到ったとき、生命体として元来持ち合わせていた、個体の保持と種の継承と謂う本能の他に、比較と欲望と失う事への恐怖の三要件が新たに加わった。

 目下の者に教えを請うという事は、本能としての“比較”と言う要件からみて、成果に逆行する行為である。

 “目下の者に教えを請う”と謂う、本能に逆行する行為を行うことが出来るのは、理性が本能をもコントロール出来る証である。

 面子は本能の“比較”に該当し、面子を棄てて、聞けるところから聞いた方が、世間からも評価され自分のためにも成る。

 要旨は異なるが、「聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥」と謂う諺がある。

 

  子貢問曰:

 

「孔文子何以謂之文也?」

 

子曰:

 

「敏而好學,不恥下問,

 

是以謂之文也。」

 

公冶長: 子貢問:「孔文子憑什?獲得『文』的稱號?」孔子?:「靈敏又好學,向比自己學問差的人請教時,不覺得沒面子,所以稱為『文』。」

 

 

 

公冶長第五の第20章

 季文は三度考えて,そして実行した。孔子は此を聞いて、二度考えれば充分だろう。

【屁理屈】

 読者諸君は孔子先生の事だから、恐らく十二分に考えろ!と示唆するかと思ったら、

 考察不足も間違いの一端だが、考えすぎて実行が遅れるのも間違いの一端である。

 石橋を叩いて渡ると謂うが、叩いても渡らない人もいる。慎重の余り、タイミングを逃しては何にも成らない!

 

  季文子 三思而後行。

 

子聞之,

 

曰:

 

「再,斯可矣。」

 

公冶長: 季文子遇事總要思考三次,然後才行動。孔子聽?後,?:「思考兩次就可以了。」

 

 

 

述而第七の第8章

 私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯ぎしりをするほどにならなければ、解決の糸口を教えてあげない。

 また、説明に苦しんで口を歪める程にならなければ、表現の手引を与えてやらない。

 むろん私は、道理の一隅ぐらいは示すことはある。

 然し、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない

【屁理屈】

 指導法の一端を披露した一章である。学習は身に付いてこそ学習で、聞いただけでは身に付かない。

 ゼロからより、端緒が有った方が早く理解に到り易い。何れにせよ一生懸命さ、が重要である。

 

 子曰。

 

不憤不啓。

 

不?不發。

 

擧一隅。

 

不以三隅反。

 

則不復也。

 

述而: 孔子?:「不到苦思冥想時,不去提醒;不到欲?無語時,不去引導。不能舉一例能理解三個類似的問題,就不要再教他了。」

 

 

 

泰伯第八の第7章

 曾先生がいわれた。道を行なおうとする者は大器で強靱な意志の持主でなければならない。任務が重大でしかも前途遼遠だからだ。

 仁をもって自分の任務とする、なんと重いではないか。死にいたるまでその任務はつづく、なんと遠いではないか。

【屁理屈】

 仁徳を身に付ける事は、そんなに簡単な事ではない!と

 100%身に付けようとするから難しいので、自分で出来るだけならそれ程難しい事ではない。

 事柄に依っては、判っているけど実行できない場合がある。そう言うときは無理に実行する必要はない。ただ「此此の都合で実行しなかった」と謂うことを知っていることが重要である。

 

 曾子曰。

 

士不可以不弘毅。

 

任重而道遠。

 

仁以爲己任。

 

不亦重乎。

 

死而後已。

 

不亦遠乎。

 

泰伯: 曾子?:「有志者不可以不培養堅強的意志,因為責任重大而且道路遙遠。以實現全人類和平友愛為自己的責任,這樣的責任不是很重大??為理想奮斗終身,這樣的道路不是很遙遠??」

 

 

 

泰伯第八の第18章

 何という荘厳さだろう、舜帝と禹王が天下を治められた姿は。

 而も両者ともに政治にはなんのかかわりもないかのようにしていられたのだ

【屁理屈】

 徳治とは深く静かに浸透する事で、“見え見え”では、眞の徳治とは謂えないのだろう。

 

  子曰。

 

巍巍乎。

 

舜禹之有天下也。

 

而不與焉。

 

泰伯: 孔子?:「舜、禹真偉大!他們獲得天下依靠的不是暴力。」

 

 

 

郷党第十の第1章

 孔先生は、自宅に居るときには、単純素樸な態度で、お話が出来ない様に見える。ところが、宗廟や朝廷に行くと、謂うべき事は堂々といわれる。ただ慎みだけは決して忘れない

【屁理屈】

 家にいるときはそれ程に多弁ではないが、その場に行けば、その風格を顕し、その能力を充分に発揮する。

 ただ“禮”だけは疎かにしない。

 こういう人が賢人と云うのだろう。

 

  孔子於?黨,恂恂如也,

 

似不能言者。

 

其在宗廟朝廷,便便言,唯謹爾。

 

郷黨:孔子在?親面前,?和恭順,象不會?話的人;在宗廟朝廷裏,口齒清晰,?是很謹慎。

 

 

 

狐假虎威

 きつねとらのいをかりる

 力のないものが他人の権勢に頼って威張ること。

【屁理屈】

 力のないものが他人の権勢に頼って○○する事は、至る所に存在する。

 先ず日本の敗戦当時は米国の占領下で、当然に米国の軍事的傘下に収まった。

 昭和27年に米英との単独講和を締結したので、締結以後は自国による自国防衛は独立国として当然の義務である。

 然し国際的に見ても、国防費は概ねGDP3%から4%を必要としており、敗戦国で無くとも相当に重い負担である。

 茲に日本政府は、地勢的な位置と敗戦国の立場を有効に活用して、米国の軍事的傘下に収まり、国防費の節約を図り、戦後復興資金に転用する事が出来た。

 その結果、他国に比べて早期に戦後復興を成し遂げ、更に敗戦以前を凌ぐ国力を取得した。

 そして日米間には日米安全保障条約を締結し、他国との脅威に備えた。此の対外手法は狐假虎威の活用である。

 もしも日本が狐假虎威を為さなかったら、恐らく今でも周辺の脅威にさらされて、戦前のような貧乏國だったであろう。

 狐假虎威は日常的に活用される手法で、身の回りを見渡せば、取締役の奥さんは鼻が高いし、役所、企業、家庭、個人に到るまで、枚挙に暇がない程に存在する。

 

  荊宣王問群臣曰、

 

吾聞北方之畏昭奚恤也。

 

果誠何如。群臣莫對。

 

  江乙對曰、

 

虎求百獸而食之。

 

得狐。

 

狐曰、子無敢食我也。

 

天帝使我長百獸。

 

今、子食我、是逆天帝命也。

 

子以我爲不信、吾爲子先行。

 

子隨我後觀。百獸之見我、

 

而敢不走乎。虎以爲然。

 

故遂與之行。獸見之皆走。

 

虎不知獸畏己而走也。

 

以爲畏狐也。

 

  今、王之地、方五千里、帶甲百萬、

 

而專屬之昭奚恤。

 

故北方之畏奚恤也、

 

其實畏王之甲兵也、

 

猶百獸之畏虎也。

?帯甲 … よろいを着た兵士。

?荊 … 楚の国。

?昭奚恤 … 楚の宰相。

?江乙 … 魏出身。昭奚恤のライバル。

〔出典〕 『戦国策』楚策

 

 

 

子罕第九の第23章

 後輩を侮ってはならない。彼等の将来が我々の現在に及ばないと誰が謂えようか。

 だが、四十歳、五十歳にもなっても、注目をひくに足りないようでは、畏れるには足りない。

【屁理屈】

 後輩は今后どの様に成長するのか、可能性を秘めている。何れは私共を凌駕するのではないか!

 ただ現代なら50歳60歳代に成っても大したことのない者は、50歳代60歳代で成長が頭打ちするので大したことが無いと思う。

 ただ此から先、若い者に成長して貰わないと困ることがある。我々老人の年金は若い者におんぶしているのだから・・・・・

 

 子曰。

 

後生可畏。

 

焉知來者之不如今也。

 

四十五十而無聞焉。

 

斯亦不足畏也已。

 

子罕: 孔子?:「年輕人?得敬佩,怎知後代不如今人?四五十?還默默無聞的人,就沒什?前程了。」

 

 

 

子罕第九の第29章

 知識人は物の道理を知り現状を理解し未來を展望しているのだから、事に当たって迷うことはない。

 仁徳ある人は私利私欲を棄て、疚しいところがないのだから、あれこれと心配事がない。

 勇気と決断力のある人は、総てに畏れることがない。

【屁理屈】

 知識がないと、原因と成行が判らないから、あれこれと心配するが、仁徳のある人は、私利私欲を求めないから、それ程の心配はない。

 勇気のある人は、心が強いから大抵のことでは驚かない。

 さて私はどうだろう?・・・・程ほどの知識と程ほどの欲望と程ほどの勇気だから、程ほどに心配し、程ほどに迷う。

 ところが現実の社会では、簡単に出来て何にも恐れない生き方があるのです。

 人は何故に迷うのか?何故に恐れるのか?

 人は失うから恐れるのです。

 失う物がなければ、何も恐れはなくなります。

 財物が全くなければ、失うとすれば、“生命”丈です。

 幾ら悪事を働いても、50年豚箱に入れられても、死刑にならない限りは失う物はないのです。

 放って置いても、遅かれ早かれ生命は無くなるのです。だから何をしても恐ろしく無いのである。

 此ではどうにもなりません!

 では失う物を作りましよう!

 教育をして“自尊心”を植え付けるのです。

 “自尊心”を失うのが嫌で、悪いことをしません。

 飴玉よりも、心の教育が大切なのです。

 だから孔子先生は、“学問”“学問”“仁徳”“仁徳”と言うのです。

 

  子曰:

 

「知者不惑,仁者不憂,勇者不懼。」

 

子罕: 孔子?:「明智的人不會迷惑,仁愛的人不會憂愁,勇敢的人不會害怕。」

 

 

 

先進第十一の第16章

 子貢が孔子に尋ねた!子張と子夏では、どちらが優れているでしょうか?

 子張は度が過ぎている。

 夏は度が足りない。

 すると子張の方が優れていると・・・

 いや、過ぎたるは及ばざるが如し

 過と不足は同じだよ!

【屁理屈】

 孔子先生は“過と不足は同じ”と云うが、現実の社会では、“過と不足は同じ”では有りません。

 少し鈍臭く見られますが、何れにしても、口は禍の基と云いますから気を付けましょう。

 謂い足りない事は補追出来ますが、余計に謂ったことは“取り消します”と謂っても取り消せません。其れは覚えて居るからです。

 例えば料理に例えてみると、塩を入れすぎると、その塩を取り除くことは出来ません。

 其れを修正するには全部作り直すか、他の味付けにするか、中中に手数が掛かるのです。過ぎたるは及ばないよりも、更に拙いと謂えます。塩を入れすぎたので砂糖を入れればよい!と、そんな簡単には解決できません。

 

  子貢問:

 

「師與商也孰賢?」

 

子曰:

 

「師也過,商也不及。」

 

曰:

 

「然則師愈與?」

 

子曰:

 

「過猶不及。」

 

先進: 子貢問:「子張與子夏誰能幹些?」孔子?:「子張做事總是過頭,子夏總是差點火候。」?:「那?是子張強些??」孔子?:「過頭和差點一樣。」

 

 

 

顏淵第十二の第3章

 司馬牛と謂う門人が、仁者とはどの様な人物か?と孔子に尋ねた。

 仁者は口が重い。

 口が重い、其れだけで仁者と云えるのですか?

 何事も云うは易しく実行するのは難しい。

 仁の実践の難しさを知れば、自ずと口も重くなると云うことだ。

【屁理屈】

 “仁”には相手への尊重と気遣いが根底に無ければならない。相手への尊重と気遣いを考えながら対応していたら、自ずとペラペラは話せなくなる

 言葉を撰びながら話す習慣を付けると、ドジを踏む回数が減る。

 「謙虚」と「勤勉」と「慈愛」と「誠実」と「寛容」が習慣と成っている人を“仁者”と云うのだろう。

 

  司馬牛問仁。

 

子曰:

 

「仁者其言也」。」

 

曰:「其言也」,斯謂之仁已乎?」

 

子曰:「為之難,

 

言之得無」乎?」

 

顏淵: 司馬牛問仁。孔子?:「仁者言談謹慎。」?:「言談謹慎,就能叫做仁??」孔子?:「做起來很難,言談能不謹慎??」

 

 

 

顏淵第十二の第20章

 子張;私達知識人はどうしたら世間から“達人”と評価されるのでしようか?

 孔子;その達人とは、どういう者を云うのかね

 子張;集団中は勿論のこと国中に其の名が知られている人物のことです。

 孔子;其れは有名人と言うだけで達人ではありません。

 達人とは実直で正義を好み、人の意見を良く聞き謙虚で、傲慢で無い人物だ。だから国中から“達人”と認められるのだ。

 だが有名人はそうではない

 例えば表面は人道主義を口にし、実際は自分の売り込みばかりで、而もその上に胡座をかいて疑いを持たない。

 だから周りからも国中からも有名人扱いされるだけだ。

【屁理屈】

 有名人と達人の相違を実に明確に分類している。この章を読んだ後で、現実社会の周囲を見渡すと、相手の顔が見透かせる。

 この条件に当て嵌まる人は、結構居ますね!

 

  子張問:

 

「士何如斯可謂之達矣?」

 

子曰:

 

「何哉,爾所謂達者?」

 

子張對曰:

 

「在邦必聞,

 

在家必聞。」

 

子曰:

 

「是聞也,非達也。

 

夫達也者,質直而好義,

 

察言而觀色,慮以下人。

 

在邦必達,在家必達。

 

夫聞也者,色取仁而行違,

 

居之不疑。

 

在邦必聞,在家必聞。」

 

顏淵: 子張問:「怎樣才能顯達??」孔子?:「?所?的顯達是什?意思?」子張?:「國外有名,國内有名。」孔子?:「這是名,不是達。所謂顯達,就是品質正直,崇尚道義,善於察言觀色,甘心處於人下。這樣就會國外顯達,國内顯達。表面仁義而?心相反、以仁義自居而不疑的人,也能騙取國?外的名聲。」

 

 

 

顏淵第十二の第21章

 孔子のお供をして散歩していた樊遲は三つの徳目である「道徳意識の向上」「欠点の克服」「是非の弁別法」に付いて教えを請うた。

 先ず自分の果たすべき社会的責務は何か?

 其れを決めてから生活の手段を選ぶことが道徳意識の向上になる。

 自分の欠点には厳しく、“他人”の欠点には寛容であることで、自分の欠点が克服できる。

 些細なことで理性を失って他人に八つ当たりするようでは、是非の弁別があるとは云えない。

【屁理屈】

 屁理屈を差し挟む余地などありません。ところで著者は妻から、自分に優しく、わたしには厳しく!と、言われています。

 

  樊遲從遊於舞?之下,曰:

 

「敢問崇コ、脩慝、辨惑。」

 

子曰:

 

「善哉問!

 

先事後得,非崇コ與?

 

攻其惡,無攻人之惡,非脩慝與?

 

一朝之忿,忘其身,

 

以及其親,非惑與?」

 

顏淵: 樊遲陪孔子到魯國的天壇游覽。樊遲問:「請問怎樣才能提高品コ、改正錯誤、明辨是非?」孔子?:「問得好!吃苦在前,享受在後,不就能提高品コ??進行自我批評,不去批評別人,不就能改正錯誤??忍不住一時之氣,忘了自己和親人的安危,不就是糊塗??」

 

 

 

子路第十三の第2章

 仲弓は魯の家老で、李氏の領地に赴任して、奉行になった。

 弟子の仲弓は奉行としての心構えを孔子に尋ねた。

 部下を適材適所に配置して、小さな失敗を咎めず、才能有る人材を抜擢することだ。

 どう人材を抜擢したら良いでしょうか?

 先ず君の知っている者を抜擢しなさい。そうすれば君の知らない人物でも周りが放っておかなくなる。

【屁理屈】

 “人”は見習う習性があり、仲弓が仁徳に適った行為を為せば、周囲も仲弓を見習って仁徳に靡くのである。

 敢えて仲弓が有為な人材を捜さなくとも、役職にある者が仲弓を見習って抜擢するので、仲弓は自分の知り得る人材を対象にすればよい!

 

  仲弓為季氏宰,問政。

 

子曰:

 

「先有司,赦小過,舉賢才。」

 

曰:「焉知賢才而舉之?」

 

曰:「舉爾所知。

 

爾所不知,人其舍諸?」

 

子路: 仲弓當了季氏的總管,問政。孔子?:「使下屬各司其職,ェ容小錯,提拔賢才。」仲弓問:「怎知誰是賢才而提拔?」孔子?:「提拔?所知道的,?不知道的,別人會埋沒他??」

 

 

 

子路第十三の第6章

 自分の行いが正しければ命令しなくとも実行される。

 自分の行いが間違っていれば、幾ら命令しても実行されない。

【屁理屈】

 孔子先生のお言葉、尤もな様な気もするが、尤もではないのが現実の社会である。

 孔子先生の時代では、先生の耳目に入る情報はその時代相応である。

 然し現代人の耳目に入る情報は現代相応である。

 世界は広いので善悪一つ取っても、その基準が異なり、此方の“人”は“可”と判断し、其方の“人”は“不可”と判断する。

 孔子先生と同じ判断基準を持つ国民は日本人だけかも知れない。

 

  子曰:

 

「其身正,不令而行;

 

其身不正,雖令不從。」

 

子路: 孔子?:「領導自己身正,即使不下達命令,群衆也會自覺去做;領導自身不正,即使下達了命令,群衆也不會服從。」

 

 

 

子路第十三の第25章

 君子は仕え易いが、機嫌はとりにくい。機嫌をとろうとしても、こちらが道に適っていないと歓ばない。

 然し人を使う時には、それぞれの器量に応じて使ってくれ、無理な要求をしないから仕えやすい。

 小人は、これに反して、仕えにくいが機嫌はとりやすい。こちらが道に適わなくても、機嫌をとろうと思えば簡単に出来る。

 然し人を使う時には、総てに完全を求めて無理な要求をするから仕えにくい。

【屁理屈】

 “大物”は部下の技倆を把握しているので、適材適所に配置して、“小者”は部下の技倆を把握していないので、適材適所と謂うわけには行かない。

 そして“小者”自分の瑕疵を嫌うので、部下に責任を押しつけようとする。ただ欲張りだから買収するのは容易い。

 

 子曰。

 

君子易事而難説也。

 

説之不以道。

 

不説也。

 

及其使人也。

 

器之。

 

小人難事而易説也。

 

説之雖不以道。

 

説也。

 

及其使人也。

 

求備焉。

 

子路: 孔子?:「為君子做事容易,但使他高興卻很難。討好不當,他是不會高興的;他用人時,總能量材而用。為小人做事難,但使他高興很容易。討好不當,他也高興;他用人時,總是求全責備。」

 

 

 

子路第十三の第30章

 訓練をしないで人民を戦争に駆り立てる。

 其れは人民を根絶やしにする行為である

【屁理屈】

 物事は実際に携わっている者の方が良く知っている。戦争について、軍人と文民のどちらが良く識っているかと云えば、軍人である。

 戦争になったとき、一番危ないのは、軍服を着てはいるが、実戦経験の乏しい軍人で有る。

 

  子曰:

 

「以不教民戰,是謂棄之。」

 

子路: 孔子?:「不訓練就讓百姓去打仗,就是讓他們去送命。」

 

 

 

衣錦還郷

 にしきをきてこきようにかえる

 他郷で出世して故郷に帰る

【屁理屈】

  『梁書』柳慶遠伝に記載された時代は地方と都会では、経済の差が歴然としていた。

 知識の差が富の配分に多大な要素を占めるので、一族で資金を調達し、有望な子弟を育てて都会へ出し、都会へ出た子弟は頑張って出世し、故郷へ恩返しをする。

 このパターンは日本でもそれ程昔の話ではない。今では地方と都会の差は無くなったが、その一番の要因は、輸送手段が確保された事である。

 物を作っても売れなければ一銭にも成らない。長期保存出来る生産物は、高い輸送費を払ってでも輸送され、長期保存出来ない生産物は、地元で販売するより仕方がなかった。そして、元元収入の少ない地元で販売されるのだから、売上は少なく為らざるを得ない。

 買うときは高い輸送費を払って買わなければならない。安い物を売って高い物を買うのでは、貧しくなるのは当然である。

 其れまでの国政に携わる者は、例え地方議員であっても資産家の子弟で、彼等は地方の実情を身に沁みて感じては居なかった。

 昭和47年(1972)、新潟県出身の田中角栄氏が総理大臣に就任した。聞くところに依れば、彼は貧農の出身と聞いている。

 彼は都市と地方の経済格差を解消するには、生産物資の輸送手段改革が有為な方策である!と、“日本列島改造論”を提起し、輸送手段の拡充に努めた。

 その後これを契機として、既得権益に胡座をかいていた日本国有鉄道と日本電信電話公社と郵政事業も改組され、兎に角地方と都会との物理的格差は解消された。

 因って、「故郷に錦を飾る」は死語と成った。

 

  高祖謂曰、卿母年コ並高。

 

故令卿衣錦還郷、

 

盡榮養之理。

 

?高祖 … 梁の武帝、蕭衍。

?卿 … 君主が身分のある臣下に呼びかける言葉。

?年徳 … 年齢と徳望。

?錦 … 金糸や色糸を織りこんだ高位高官が身につける着物。

?栄養 … 親に美服・おいしい食事を進めて孝養をつくすこと。

〔出典〕 『梁書』柳慶遠伝、『梁書』劉之?伝、

   『南史』柳慶遠伝、『南史』劉之?伝

 

 

 

憲問第十四の第23章

 君子は上へ上へと進む。小人は下へ下へと進む。

【屁理屈】

 “大物”は社会情勢など大きな事柄に注意を向け、“小者”は個人的なことなど身近なことに注意を向けるようになる。

 “小者”が国会議員になると、世界情勢よりも身近な問題に視点を向けるようになる。依って村会議員と紛う行動を執る。

 物事の軽重を弁えない政治家は、国家の利益よりも足許の利益を優先する。民衆も国家の趨勢よりも足許の趨勢を重視する。

 残念ながら、国家が疲弊すれば、地域は瓦解する事を認識していない民衆が居る事も事実である。

 

 子曰。

 

君子上達。

 

小人下達。

 

憲問: 孔子?:「君子心懷仁義,小人心懷財利。」

 

 

 

憲問第十四の第37章

 先師が嘆息していわれた。ああ、とうとう私は人に知られないで世を終りそうだ。

 子貢が驚いて謂った。どうして先生のような大徳の方が世に知られない事があろうか。

 すると先師は、しばらく沈黙したあとでいわれた。私は天を怨もうとも、人を咎めようとも思わぬ。

 私はただ自分の信ずるところに従って、低いところから学びはじめ、一歩一歩と高いところにのぼって来たのだ。私の心は天だけが知っている。

【屁理屈】

 孔子先生は自分の生き様は自分自身の責任であると謂う。ところが不遇の責を他に押しつけようとする人物も居る。

 こういう人は、物事の結果を反省する意思が乏しいので、何時になっても進歩しない。

 “仁徳”は崇高な思想だが、人の欲望の方が遥かに強烈で、孔子先生の理想は2500年を経ても未だに実現できない。とても難しく、嘆かわしい。

 

 子曰。

 

莫我知也夫。

 

子貢曰。

 

何爲其莫知子也。

 

子曰。

 

不怨天。

 

不尤人。

 

下學而上達。

 

知我者其天乎。

 

憲問: 孔子?:「沒人瞭解我?!」子貢?:「怎??沒人瞭解???」孔子?:「不埋怨天,不責備人,我學了些平凡的知識,從中領悟了高深的道理。瞭解我的,大概?有天?!」

 

 

 

衛霊公第十五の第3章

 孔子が子貢に謂った。

 私が博学多識の人だと思うかね!

 そうでないと仰るのですか?

 違う

 私は一つの道を貫いて来ただけだよ!

【屁理屈】

 著者は博学多識の人を知らない。だが一つのことを貫いた人は見聞きしている。

 彼等には他とは違う何か・・・一本筋が通っている!

 ただ一本筋が通っているのは確かだが、惜しいかな競走馬の遮眼帯の様な人もいる。

 

  子曰:

 

「賜也,

 

女以予為多學而識之者與?」

 

對曰:

 

「然,非與?」

 

曰:

 

「非也,予一以貫之。」

 

衛靈公: 孔子?:「子貢?,?以為我是學得多才記得住的??「對,難道不是??「不是,我是用一個基本思想貫徹始終的。」

 

 

 

衛霊公第十五の第17章

 一日中大勢が集まって、道義についての話もなく、小才ばかりひらけかしている。

 困ったものだ!

【屁理屈】

 孔子先生の弟子も困ったもので、一日中人のため世のために成る話をしないで、雑談ばかりで時間を無駄にしている!孔子先生曰く、困ったものだ!

 何処でも似たり寄ったりで、親の心子知らず。孔子先生と雖も、愚痴の一つも謂いたくなる。

 

  子曰:

 

「群居終日,言不及義,

 

好行小慧,難矣哉!」

 

衛靈公: 孔子?:「整天和小人聚在一起,?話不講道義,喜歡?小聰明,這樣的人真難?!」

 

 

 

衛霊公第十五の第21章

 君主は己に頼り、小人は“他人”に頼る

【屁理屈】

 “人”の上に立つものは知識と決断力があるから、意思が動揺しない。然し知識のない者は、決断が出来ずに“他人”に凭れ、自己責任を軽減しようとする。

 もう一点、上に立つものは、その上がないから頼れるところがない!と謂う現実がある。

 

  子曰:

 

「君子求諸己,

 

小人求諸人。」

 

衛靈公: 孔子?:「君子求自己,小人求別人。」

 

 

 

衛霊公第十五の第23章

 “大物”は発言を聞いただけで、相手を買いかぶるようなことはしない。

 また、相手によって其の発言を無視するようなことはしない。

【屁理屈】

 リーダーたるもの、一寸興味を惹くことを謂ったからとて、その人を信用したり、下っ端の発言だからと言って、その意見を拒否したりしない。

 何故そんなことが出来るのか?其れは既に相手の腹の内をお見通しだからだ。

 

  子曰:

 

「君子不以言舉人,

 

不以人廢言。」

 

衛靈公: 孔子?:「君子不會因為某人?話動聽而舉薦他,不會因為某人品コ不好而不採納他的善意規勸。」

 

 

 

衛霊公第十五の第34章

 “大物”には、小さな仕事は向かないが、大きな仕事は任せられる。

 “小者”には、大きな仕事は任せられないが、小さな仕事ならやりこなす。

【屁理屈】

 人には適材適所があり向き不向きがある。

 ただ言い方を変えて、大きな事を為す人物;小さいことが出来る人物;と謂い替えましよう。

 

  子曰:

 

「君子不可小知,而可大受也;

 

小人不可大受,

 

而可小知也。」

 

衛靈公: 孔子?:「君子不可做小事,而可接受重大使命;小人不可接受重大使命,而?能做小事。」

 

 

 

衛霊公第十五の第38章

 君に仕えるには、恭敬の念をもって職務に精励し、食禄は第二とすべきである

【屁理屈】

 “大物”に仕えるには、先ず職務をやり遂げ、報酬はその次だ。ただ此には、まず“大物”には、ちゃんとした仕事を為せば、ちゃんとした報酬を払ってくれると謂う前提が必要だ。

 

 子曰。

 

事君敬其事而後其食。

 

衛靈公: 孔子?:「對待上級要先?好事,然後再談拿報酬。」

 

 

 

李氏第十六の第6章

 孔子の謂う三愆とは三つの過ちの事で、此は年長者と話をするときの礼儀である。

 話題が未だ其処まで行かないのに、先取りして言い出す。此を「軽はずみ」と謂う。

 相手に意見を求められているのに答えない。此を「隠し立て」と謂う。

 相手の顔色も見ないで、一方的に喋る。此を「目を閉じる」と謂う。

【屁理屈】

 四十五十は洟垂れ小僧と謂うけれど、中年になると、何でも判ったような気になって、三愆に陥りやすいので要注意とは著者自戒の弁

 

  孔子曰:

 

「侍於君子有三愆:

 

言未及之而言 謂之躁,

 

言及之而不言 謂之隱,

 

未見顏色而言 謂之瞽。」

 

季氏: 孔子?:「陪君子?話要註意三種毛病:沒到?的時候就?,叫做急躁;到該?的時候不?,叫做隱瞞;不顧對方的表情就?,叫做?眼瞎。」

 

 

 

微子第十八の第2章

  柳下恵が法官となって三度その職を免ぜられた。ある人が謂った。何故こんな国に居るのですか。さっさとお去った方が良いでは、柳下恵がこたえた。どこの国に行ったところで、正道をふんでご奉公をしようとすれば、三度ぐらいの免職は覚悟しなければらない。

 免職が怖くて正道を枉げてご奉公するなら、何も父母の国を棄てて、わざわざ他国に行く必要もない。

【屁理屈】

 枉がった處で此を正そうとするのは、命がけで、相当の覚悟で無ければ身を措けない。世界を見渡せば現代でも贈収賄は衰えを知らず、國は崩壊し国民は疲弊し、人は何故に強欲なのか。

 

  柳下惠爲士師。三黜。

 

人曰。子未可以去乎。曰。

 

直道而事人。焉往而不三黜。

 

枉道而事人。何必去父母之邦。

 

  微子: 柳下惠當司法部長,三次被罷免。有人問:「?不可以離開??」他?:「堅持正直輔佐別人,到?裏不是要?次被罷免?如果用歪門邪道輔佐別人,何必要離開自己的國家?」

 

 

 

李氏第十六の第7章

 若いときは血の気が安定していないので、色欲を警戒しなさい。

 血気盛んな壮年期には、闘争欲を警戒しなさい。

 血気が衰えてくる老年期には、名誉欲や物欲を警戒しなさい。

【屁理屈】

 若いときは色欲に注意しなさい。壮年期には争い事に注意しなさい。年寄りになると、欲深に注意しなさい。

 孔子先生、こんなにも丁寧に教えてくれるとは、・・・・・

 

  孔子曰:

 

「君子有三戒:

 

少之時,血氣未定,

 

戒之在色;

 

及其壯也,血氣方剛,

 

戒之在?;

 

及其老也,血氣既衰,

 

戒之在得。」

 

季氏: 孔子?:「君子有三件事要警戒:年輕時,血氣還不成熟,要戒女色;年壯時,血氣正旺盛,要戒爭斗;年老時,血氣已衰落,要戒貪婪。」

 

 

 

無恥無愧

 むざんむき

 恥ずべきを恥ないでいることを憎むようになれば、恥辱を受けることもなくなる。

【屁理屈】

 孔子先生の孫の言葉。爺さんは単刀直入に謂っていたが、孫になると、同じ事をややこしく言う。

 言葉の言い回しで、例えば、“嘘は言いません!と謂う、大嘘つき”・・・・・“間違い有りません、と言う事自体が大間違い”の如き言い回しで有る。

 “恥ずべきを恥ないでいることを憎むようになれば、恥辱を受けることもなくなる”、判りやすく言い換えるとどうなりますか?

 

  孟子曰、人不可以無恥。

 

無恥之恥、無恥矣。

 

?人不可以無恥 … 人間は恥を知らなければいけない。恥を知れ。

〔出典〕 『孟子』尽心上

 

 

 

李氏第十六の第8章

 君主には三つの畏れが有る。

 天命に對して、深く敬い慎むこと

 優れた道徳者に對して、深く敬い慎むこと

 古代賢人の言葉に、深く敬い慎むこと

 小人の場合は

 天命の存在を意識していない

 優れた道徳者に對しても、馴れ馴れしくぞんざいな態度を取る。

 賢人の教えを軽蔑する

【屁理屈】

 第7章に続く第8章、事細かなご指導、誠に有り難う御座います。

 書かれている通りでしよう。

 

  孔子曰:

 

「君子有三畏:

 

畏天命,畏大人,畏聖人之言。

 

小人不知天命而不畏也,

 

狎大人,侮聖人之言。」

 

季氏: 孔子?:「君子有三件事要敬畏:敬畏自然規律、敬畏大人物、敬畏聖人的話。小人不?自然規律因而也就不敬畏自然,不尊重大人物,戲侮聖人的言論。」

 

 

 

李氏第十六の第9章

 生まれながらにして知性に恵まれている者は最高である。

 勉強して知性を身に付けた者はその次である。

 必要に迫られて勉強した者は、更にその次である。

 必要に迫られても、勉強しない者は最低である。

【屁理屈】

 確かに生まれながらにして知性を身に付けていれば其れに越したことはないが、そんな人は矢鱈にいない。

 その殆どは勉強して身に付けた者と、必要に迫られて勉強した者であろう。有為な“ひと”としてはこの二者で、元元頭の良い人は、頭の良い割には役立てない人が多い。

 苦労の量と役立つ量は比例しているようにも思える。頭が良くて苦労した人が、一番かな・・・・

 

  孔子曰:

 

「生而知之者,上也;

 

學而知之者,次也;

 

困而學之,又其次也;

 

困而不學,民斯為下矣。」

 

季氏: 孔子?:「生來就知道的,是上等人;學習後才知道的,是二等人;遇到困難才學習的,是三等人;遇到困難也不學習的,這就是下等人了。」

 

 

 

李氏第十六の第10章

 君主所謂“大物”と謂われる人は、常に九つの事を年頭に置かねばならない。

1−視覚に於いて明敏であること

2−聴覚に於いて鋭敏であること

3−表情は穏やかであること

4−態度に於いて慎み深いこと

5−発言に於いて誠実であること

6−行動に於いて慎重であること

7−疑問があったら尋ねること

8−腹が立ったとき周囲に迷惑を掛けないこと

9−利益を前にして、正義を忘れないこと

【屁理屈】

 地球上の人類が総て此を守っていたなら、地上に争いなど有りません。

 だが此を遣らない“人”が沢山居るので、何時に成っても争いが絶えないのです。

 

  孔子曰:

 

「君子有九思:

 

視思明,聽思聰,色思?,

 

貌思恭,言思忠,事思敬,

 

疑思問,忿思難,

 

見得思義。」

 

季氏: 孔子?:「君子有九種事情要考慮:看要考慮是否看清楚了、聽要考慮是否聽清楚了、臉色要考慮是否?和、表情要考慮是否謙恭、言談時要考慮是否忠誠、工作時要考慮是否敬業、疑問時要考慮請教、憤怒時要考慮後患、見到好處時要考慮道義。」

 

 

 

陽貨第十七の第12章

 見かけは権威があって、頼もしそうだが、その中味は臆病で主体性のない人間

 其れは、“小者”を例にすると、みみつちいコソ泥の様な者だ!

【屁理屈】

 中味がないのに、肩書きを振りかざし空威張りする人物、嫌だと思いつつも、どう表現するか判りませんでした。

 孔子先生、巧く云ってくれました!!

 

  子曰:

 

「色試ァ内荏,譬諸小人,

 

其猶穿?之盜也與?」

 

陽貨: 孔子?:「外表威嚴而心怯懦的人,用小人作比,就象?牆洞的小?!」

 

 

 

陽貨第十七の第15章

 心根の陋劣な人とは、到底一緒に君に仕えることができない。

 そういう人は、まだ地位を得ないうちは、それを得たいと焦るし、一旦それを得ると、それを失うまいと焦る。

 そして、それを失うまいと焦り出すと、今度はどんなことでも遣りかねないのだから

【屁理屈】

 こんなに酷くなくとも、何方でも一つぐらいは当て嵌まる。

 凡人が一家を支えるのは、思ったより難儀なことです。

 判っては居るけれど、中々理想通りには行きません。ただ、此は拙いことをしたなあ!ぐらいは覚えておきましょう。

 

 子曰。

 

鄙夫可與事君也與哉。

 

其未得之也。

 

患得之。

 

既得之。

 

患失之。

 

苟患失之。

 

無所不至矣。

 

陽貨: 孔子?:「卑鄙小人可以共事??這種人他沒得到時,怕得不到;得到後,怕失去。一旦害怕失去,他什?壞事都敢做。」

 

 

 

陽貨第十七の第23章

 子路が孔子に尋ねた

 君主にとって大切な事は、勇気だと思いますが・・・

 孔子は答えた

 勇気も大切だが、君主には、正義が何よりも大切だ!

 勇気があっても正義に欠けていたら、亂を起こすことになる。

 小人の場合、勇気があっても正義に欠けていたら、泥棒に成りかねない。

【屁理屈】

 著者から見たら社長や会長は“大物”だ!が、実のところ社長や会長でも“小者”として新聞紙上を賑わす人もいる。

 社員が自殺したり、ブラック企業と名指しされたり、脱税したり、勇気があっても正義がないと泥棒に成りかねない。

 事業主にとって事業は手段である。

 手段が何時の間にか目的に成って、手段に振り回される・・・・・・。

 

  子路曰:

 

「君子尚勇乎?」

 

子曰:

 

「君子義以為上。

 

君子有勇而無義為亂,

 

小人有勇而無義為盜。」

 

陽貨: 子路?:「君子提倡勇敢??」孔子?:「君子以道義為上,君子如果勇敢而不講道義就會顛覆國家,小人如果勇敢而不講道義就會成為強盜。」

 

 

 

子張第十九の第8章

 小人は失敗をすると必ず言い訳をする

【屁理屈】

 “小者”は泰然自若としていられないから、失敗を繕う事となる。

 ただ言い訳をすると、其れでこの件はお終い!で、再点検や再学習には到らない。だから亦同じ事をする。

 

  子夏曰:

 

「小人之過也必文。」

 

子張: 子夏?:「小人犯了錯一定要掩飾。」