現代論語 処世
第5章 處世に関わる章
論語に書かれている處世は、世の中を如何に処してゆくかが説かれていて、その対象は国家も官吏も民衆も個人もある。
国家のこういう事はこうだ、官吏はこうだ、民衆はこうだと、幾つもの事例を挙げて示唆を述べている。
論語の編輯は、内容に沿って編輯されて居るわけではないので、編者の独断で示唆内容を分別編輯したが、章には複数の示唆が含まれているので、内容に応じ章を跨いで読み取っていただきたい。
学而第一の第5章
千乗の国を治める秘訣が三つある。
すなわち、国政の一つ一つとまじめに取組んで民の信を得ること、
できるだけ国費を節約して民を愛すること、
そして、民に労役を課する場合には、農事の妨げにならない季節を選ぶこと、これである。
【屁理屈】
官吏は国家の権威を笠に着て、民衆を粗雑に扱う。
此を戒める言葉である。
国家機構の本質を問えば、民衆が居なかったら官吏は生存できないのである。
現代に合わせて読み替えてみよう。
子曰:
道千乘之國:
敬事而信,節用而愛人,
使民以時。
學而: 孔子?:「治理國家應該事事認真,時時誠信,處處節約,關心群衆,及時抓住發展機遇。」
為政第二の第1章
政治を為すには常に道徳を中心に据えておかなければならない。
其れは丁度、北極星が真ん中にあって、他の諸々の星がその方を向いているようなものである。
【屁理屈】
孔子が謂うところの政治を為す者は、君主や重臣であり、国家は為政者と被為政者の二極で構成されている。
然し現在の日本は、為政者が国民によって選出される民主主義国家なので、全国民が為政者でもあり、而も被為政者でもある。
因って民衆が不徳だと、不徳の為政者が選出される。
有徳の政治家を選出するには、当然民衆が有徳で成ければならない。
政治家の不徳を非難する民衆は、選挙民である自分自身を非難している事に等しい。
然し選挙した民衆は自分の不徳を自覚せず、自分が撰出した政治家の不徳を責める。
子曰:
「為政以コ,
譬如北辰,居其所而?星共之。」
為政: 孔子?:「管理國家要以身做則。如同北極星,安然不動而衆星繞之。」
為政第二の第3章
為政の手段として、法令や罰則で政治を行うと、国民は法を巧く潜り抜けることを考え、恥を知る心を失ってしまう。
【屁理屈】
民衆を導く方法に、万物を超越した絶対的権威の神を戴き、神託と称して民衆を導く方法と、生誕の時から既に内在する“孝”を育成し、自己の自発的判断で穏やかな社会を実現する方法とがある。
国際での相対関係は“弱肉強食”が主流で、“力は正義”が国際秩序の根幹を成している。
国内では、弱肉強食が主流を為す国家と、道徳を主流と為す国家と、弱肉強食と道徳が混在する国家がある。
現実の国家は太古から現代に到るまで、“経済力と軍事力”の総合値を背景にして、軍事侵略、経済侵略、思想侵略・・・・・・・などが、空白の暇がないほど錯綜している。
依って経済力が多くとも軍事力が乏しいと、侵略によって国家存立の危機に晒され、軍事力が多くとも経済力が乏しいと、軍事力が維持できないという現実がある。
だが経済力が乏しくとも“強大な軍事力”を所持できる方法として、“原子爆弾”が挙げられる。
原子爆弾と其の搬送手段を獲得すれば、他国に對して少ない経費で強大な軍事力を保持できるのである。
現実の国際関係は、“弱肉強食”が主流で、“力は正義”が国際秩序の根幹を成しているので、孔子の称える道徳観は、国内統治では妥当だが、国際的には通用しない。
因って、国政に関わる政治家と官吏は、国際間で通用する知識と実行力を保持する事が必要不可欠である。
亦国民は国内での思想的秩序が、国外でも通用するとは限らないことを知るべきである。
子曰:
「道之以政,
齊之以刑,民免而無恥;
道之以コ,
齊之以禮,有恥且格。」
為政: 孔子?:「以政令來管理,以刑法來約束,百姓雖不敢犯罪,但不以犯罪為恥;以道コ來引導,以禮法來約束,百姓不僅遵紀守法,而且引以為榮。」
飄風不終朝、驟雨不終日
ひょうふうはちょうをおえず、しゅううはひをおえず
つむじ風は朝のうち止んでしまう。にわか雨は一日中降り続けたりしない
【屁理屈】
勢いの強いものは長くは続かないというたとえ。
じっと我慢するときに役立った言葉だ!
止まない雨はない!とか、朝の来ない夜はない!
とか、似た言葉は沢山ある。
希言自然。
飄風不終朝、驟雨不終日。
孰爲此者、天地。
天地尚不能久、
而況於人乎。
?希言 … 無言。
?飄風 … つむじ風。
?驟雨 … にわか雨。
〔出典〕 『老子』23章
為政第二の第19章
「哀公がたずねられた。どうしたら人民が心服するだろうか。
孔子が答えた。正しい人を挙用してまがった人の上におくと、人民は心服いたします。
まがった人を挙用して正しい人の上におくと、人民は心服いたしません。
【屁理屈】
殆どの日本人なら同意見だろう。だが直か枉るかの判断基準は、國と地域によって、世界共通ではない事も事実である。
“徳”が優先されるか“利”が優先されるかの判断も、世界共通ではない。
どんなに物欲を満たしても、其れで幸福に成れるのかな・・・・・
哀公問曰:
「何為則民服?」
孔子對曰:
「舉直錯諸枉,則民服;
舉枉錯諸直,則民不服。」
為政: 哀公問:「怎樣使人心服?」孔子?:「以正壓邪,則人心服;以邪壓正,則人心不服。」
里仁第四の第13章
政治をするのに譲り合う心で国を治めることが出来たら難しいことはない。
譲り合う心で治めることが出来ないのなら、どんなに礼儀作法が身に付いていても、メリットはない。
相手の立場を尊重し小さな事は譲り合うことが大切だ!
【屁理屈】
確かに孔子先生の示唆するとおりだが、其れも相手次第だ!此方が一歩引けば、相手は容赦なく突っ込んでくる!
此では、此方にその気があっても引くに引けない現実がある。
何事も相手次第と云える。文化の違いと謂ってしまえば其れまでだが、其れでは余りにも冷たいね!
国外での話;先ず礼儀として此方から頭を下げたら、責任を認めたと謂われ、損害賠償を取られた!とは、友人の実話談。
自由主義の根幹は生物の本能が支配する弱肉強食であり、此を人為的或いは宗教的に抑制して平穏を維持している。
依って抑制が混乱すると暴発する。
子曰:
「能以禮讓為國乎?
何有?
不能以禮讓為國,如禮何?」
里仁: 孔子?:「能以禮讓治國??沒問題!不能以禮讓治國,怎?實行禮法?」
里仁第四の第22章
昔の人は軽々しく発言しなかった。
それは実行が適わないことを恥としたからです。
【屁理屈】
昔の人でなくとも其れなりに歳を重ねていれば、少しは自分のことを知っていると思うのだが、そうで無い人もいる。
謂ったくせに出来ないと、笑いものになることは必定で、誰からも当てにされなくなる。
お喋りな人は行動が伴わない!とも読み取れ、当の本人は全く自覚していない。自覚していないから、亦出任せを言う。
だが出来もしないのに発言する政治家は珍しくはない。其れを真に受ける愚かな民衆が居るからである。
子曰:
「古者言之不出,恥躬之不逮也。」
里仁: 孔子?:「古人不輕易?話,是怕自己?到做不到。」
雍也第六の第4章
子華が孔子の代理で齊の國へ出張したとき、弟子の冉子が孔子に謂った。
留守中、子華の母親に留守手当を出して遣ってくれませんか?
そうだな、一釜(12リットルの穀物)も届けてやりなさい。
其れでは少ないのでは・・・・
其れでは一?(一釜の2倍の穀物)を届けなさい。
冉子;其れでも少ない。私の独断で五秉(一釜の120倍)を届けてやろう。
その事を後で知った孔子は、子華は肥った馬に乗り上等な毛皮を着て出掛けた。留守手当を必要とするような経済状況ではない。
【屁理屈】
孔子の謂わんとしていることは、貧しい人には与えても、金持ちを肥らせるような事をしないのが、君主の道だと教えたのである。
でも現実はどうだろう。短い生命なのに、金持ちは幾らでも金を欲しがり際限がない。
死んでしまえば0に成ることを知らないのかな?
子華使於齊,冉子為其母請粟。
子曰:
「與之釜。
」請益。
曰:
「與之?。」
冉子與之粟五秉。
子曰:
「赤之適齊也,乘肥馬,衣輕裘。
吾聞之也,君子周急不繼富。」
雍也: 子華出國當大使,冉子請孔子拿點米給子華的母親。孔子?:「給一百斤。」冉子?:「給多點?。「加四十斤。」冉子給了兩千斤。孔子?:「子華在齊國,坐豪華車,穿名牌衣,我已聽?了。君子君子?救濟窮人,不添加財富給富人。」
雍也第六の第5章
孔子が魯の國の大臣で有ったとき、弟子の原思を奉行に任命し、その給料として米九百を与えた。
そんなに頂いては多すぎます。ご辞退します。
まあ取っておけ。多すぎると思ったら、村の人達に分けて上げれば良いではないか。
【屁理屈】
孔子の示唆は実に行き届いていて更に道を外れない。
其れなのに、現実の社会では、其れなりの苦労をして得た収入を妬む部下もいる。其れを強請る部下もいる。
渋ると強欲と謂われ、上も下も中々厳しいね!
原思為之宰, 與之粟九百,辭。
子曰:
「毋!
以與爾鄰里?黨乎!」
雍也: 原思在孔子家做總管,孔子給他一萬斤糧食,他不要,孔子?:「不要推辭了,給?老家的?親們?!」
雍也第六の第6章
ありふれた農耕用の牛の子でも、毛並みが良く立派な角を持っていたら、祭祀の供物に使える。祀られる神々の方でも見捨てては措くまい。
【屁理屈】
30年前の中國には、革命に携わった猛者が沢山居て、彼等は筆者に、「生まれや育ちがどうあっても、才能さえあれば必ず世に認められる。」と謂った。今の中國は大分様子が変わったらしい。
子謂仲弓曰:
「犂牛之子?且角,
雖欲勿用,
山川其舍諸?」
雍也: 孔子講到仲弓時,?:「他雖然出身貧寒,但他卻象小牛犢一樣,長出了紅紅的毛、尖尖的角,適宜於祭祀山神,即使沒人想用,山神也不會答應。」
雍也第六の第25章
盃は酒をガブ飲みするものではない
酒の量を程良く抑えるもので、大酒を飲んだのでは、何のための盃か分からない。
【屁理屈】
その場その場に相応しい対応がある。物事の有るべき姿を弁えずに行動することは、周囲に迷惑を掛けると同時に、自分もその場から浮いた存在となる。
普通預金を積んでいれば良いものを、知識もないのに株式に手を出し大損をする。
孫請けの仕事をしていたのに、その能力を弁えて居ないのに、元請けに手を出す。
経験が浅くて、未だ事業のノウハウを身に付けて居ないのに、独立起業する。
今まで盃で飲んでいた酒をいきなり丼で飲むと、急性アルコール中毒に成る。
何れも其れなりの準備が必要である。
子曰:
「觚不觚,觚哉!
觚哉!」
雍也: 孔子?:「這種祭禮用具,四不象,這是什?用具!」
雍也第六の第30章
「子貢が先師に訊ねて謂った。もしひろく恵みを施して民衆を救うことができたら、如何でしょう。
そういう人なら仁者といえましょうか。
先師がこたえられた。それができたら仁者どころではない。それこそ聖人の名に値するであろう。
堯や舜のような聖天子でさえ、それには心労をされたのだ。いったい仁というのは、何もそう大げさな事業をやることではない。
自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、
自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、
つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。
それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが仁の具体化なのだ。
【屁理屈】
仁徳の一つ一つを挙げれば、どれも実施可能な事柄ばかりで、日本人の場合、殆どは実施の経験がある。
ただ此を、何時も、総てと、成ると中々に実施出来ない。その事が仁徳の難しいところだろう。
さて此を西欧人に尋ねたことがある。尋ねた相手にも依るだろうが、思いも依らぬ返答が帰ってきて、戸惑った!
何故・・・・・
どうして・・・・・
子貢曰:
「如有博施於民而能濟衆,何如?
可謂仁乎?」
子曰:
「何事於仁,必也聖乎!
堯舜其猶病諸!
夫仁者,己欲立而立人,
己欲達而達人。
能近取譬,可謂仁之方也已。」
雍也: 子貢?:「如有人能讓百姓都得到實惠,又能扶貧濟困,怎樣?可算仁人??」孔子?:「豈止是仁人!必定是聖人!堯舜都做不到!所謂仁人,?要能做到自己想成功時先?別人成功,自己想得到時先?別人得到,就可以了。推己及人,可算實行仁的方法。」
泰伯第八の第2章
恭敬なのはよいが、それが礼にかなわないと窮屈になる。
慎重なのはよいが、それが礼にかなわないと臆病になる。
勇敢なのはよいが、それが礼にかなわないと、不逞になる。
剛直なのはよいが、それが礼にかなわないと苛酷になる。
またいわれた。上に立つ者が親族に懇篤であれば、人民はおのずから仁心を刺戟される。
上に立つ者が故旧を忘れなければ、人民はおのずから浮薄の風に遠ざかる。
【屁理屈】
禮は相手を尊重することを前提にしなければならない。
どんな行為、どんな態度で臨もうが、その根底に相手を尊重する気持ちが無ければならない。
尊重とは無誤謬の同意という事ではない。対等の並立と謂うことである。
子曰。
恭而無禮則勞。
愼而無禮則?。
勇而無禮則亂。
直而無禮則絞。
君子篤於親。
則民興於仁。
故舊不遺。
則民不偸。
孔子?:「恭敬而無禮則徒勞,謹慎而無禮則膽怯,勇猛而無禮則闖禍,直率而無禮則尖刻。如果領導能真心愛護親屬,則百姓就會崇尚仁愛;如果領導能真心愛護故舊,則百姓就不會冷漠無情。」
子罕第九の第14章
ある時孔子が亂世を嫌って九夷に移り住みたい!と云った。
然し先生;九夷は汚くてむさ苦しい處ですよ!
君主が其処に住めばむさ苦しさは無くなるよ!
【屁理屈】
此処で謂う君主とは「仁を弁えた人物」を云うのだろう。
汚かったりむさ苦しくなったりするのも、住民の心次第で、徐々に「仁」が浸透すれば、何れ解消される・・・・と云う。
此が即ち儒教の根本思想と云えるのだろう。
子欲居九夷。
或曰:
「陋,如之何!」
子曰:
「君子居之,何陋之有?」
注;九夷;東方に住む九種類の異民族
子罕: 孔子想到一個邊遠地區去住。有人?:「這地方很落後,怎???」孔子?:「君子住在那,還有什?落後?」
刎頸之交
ふんけいのまじわり
友のためなら首を斬られても決して悔いないほどの、固い友情で結ばれた交際。
【屁理屈】
刎頸の友は聞いたことは無いが、友人のために連帯保証人に成って、破産之友や絞殺之友は珍しい事ではない。
ただ悲しいのは、相手の友人は夜逃げしたり、無責任を決め込んだり・・・・・・恩を仇で返す人も多いことだ!
友情と雖も深入りは禁物である。
相如曰、夫以秦之威、
相如廷叱之、
辱其羣臣。
相如雖駑、
獨畏廉將軍哉。
顧念強秦不敢加兵於趙者、
徒以吾兩人在也。
今兩虎共?、
其勢不倶生。
吾所以爲此者、
先國家之急、
而後私讐也。
頗聞之、肉袒負荊、
詣門謝罪。
遂爲刎頸之交。
?相如 … 戦国時代の趙の名臣、藺(りん)相如。
?廷叱 … 朝廷において多くの人のいる面前で叱る。
?駑 … 人の能力が劣るさま。
?廉将軍 … 戦国時代の趙の武将、廉頗(れんぱ)。
?頗 … 廉頗。
?肉袒 … 肌ぬぎとなる。謝罪などの意思表示として行なう。
?負荊 … 罪人を罰するための荊の杖を背負う。
〔出典〕 『史記』廉頗藺相如列伝、『十八史略』春秋戦国・趙
先進第十一の第17章
魯の三家老一人季氏は、税の取り立てなどで周公を凌ぐ私財を蓄えていた。
冉求は李氏の下で税の取り立てに励み、李氏が更に私腹を肥やすのを手助けしていた。
孔子は其れを知って怒り、弟子達に云った。
諸君!戦いを挑む者が太鼓を叩いて襲いかかるように、公然と彼を攻撃して宜しい。
【屁理屈】
孔子は出来すぎた人だから、怒る時も怒らないのではと思うかも知れないが、道に外れた事をしたら、大いに怒る。
世の中には立派なことを謂う人は沢山居るが、自分が実行する場面になると、霧散する人が多い。
立派なことを云うだけなら小学生でも云える!
季氏富於周公,
而求也為之聚斂而附益之。
子曰:
「非吾徒也。
小子鳴鼓而攻之,可也。」
先進: 季氏比周公還富,然而冉求還在?他搜括錢財。孔子?:「他不是我的學生,同學們可以敲鑼打鼓地聲討他。」
願淵第十二の第4章
司馬牛が孔子に“大物”とはどんな人物を云うのか?と尋ねた。
心に心配や恐れの無い人が大物である。
其れだけで大物と云えるのですか
自分の心に反省して、疚しいところがなかったら、心配したり畏れたりすることはない。
【屁理屈】
身近に“大物”は居ないので実体験に乏しいが、“大物”は“大物”だろうとしか謂いようがない。
司馬牛問君子。
子曰:
「君子不憂不懼。」
曰:
「不憂不懼,斯謂之君子已乎?」
子曰:
「内省不疚,
夫何憂何懼?」
顏淵: 司馬牛問君子。孔子?:「君子不憂不懼。」問:「不憂不懼,就能叫做君子??」孔子?:「問心無愧,何來憂懼?」
願淵第十二の第6章
ある日弟子の子張が「聡明」とは何かと質問した。
孔子が云った。
水が物を徐々に浸して行くように、悪臣は日数を掛けて、君主の心に食い入る巧みな讒言を遣るものだ!
その様な讒言や中傷を受けない君主なら、人を見抜く聡明さが有り、優れた洞察力の持主である。
【屁理屈】
目が霞んで曇ったり、耳が雑音で聞きにくく成ったりするのは、その“ひと”の脳味噌に何かが棲み着いたからに外ならない。
“欲望虫”である。
早く退治しないと、目も耳も壊れて真実が見えなくなる。
“欲望虫”を静かに人知れず撒き散らしている人物が居る。早めに退治しないと蔓延してしまう。
子張問明。
子曰:
「浸潤之譖,膚受之愬,不行焉。
可謂明也已矣。
浸潤之譖膚受之愬不行焉,
可謂遠也已矣。」
顏淵: 子張問明。孔子?:「暗中謠言、惡毒誹謗,傳到?這裏就行不通了,就算英明瞭,就算看得遠了。」
顔淵第十二の第7章
子貢が政治について孔子に質問した。政治で一番大切なことは何ですか?
孔子は答えた。食糧の確保。軍備の充実。人民の信頼を得ること、此の3っだ!
子貢訊ねた。その3つの中一つを棄てるとしたら何ですか?
孔子が答えた。軍備を棄てよう。
子貢が質問した。残りの2つの中、もう一つを棄てるとしたら何ですか?
孔子が答えた。食料を棄てよう。人は何時かは死ぬ。死からは逃れられない。
然し信頼が無くなったら人は存在しない。
政治そのものが成り立たない。
【屁理屈】
“人”とは何か?“人”の“人”たる所以は、互に信頼し合う・・・・と謂う文化を共有しているからこそ、“人”で有り続けられるのである。
その根本は互の信頼である。“人”が信頼し会えなくなったら、其処に棲息しているのは、既に“人”ではない獣である。
子貢問政。
子曰:
足食。
足兵。
民信之矣。
子貢問政。
子曰:
「足食。足兵。
民信之矣。」
子貢曰:
「必不得已而去,
於斯三者何先?」
曰:
「去兵。」
子貢曰:
「必不得已而去,於斯二者何先?」
曰:
「去食。
自古皆有死,
民無信不立。」
子貢問政。孔子?:「確保豐衣足食、軍事強大、人民信任。」子貢?:「如果不能同時做到,以上三項中?項可以去掉?「軍事。「如果還不行,剩下二項中?項可以去掉?「衣食。自古皆有死,缺少人民的信任,國家就要滅亡。」
顔淵第十二の第13章
法廷の訴えを聞くという事は、私も他の人と同じだろう。
だが私としてはもっと根本的な事に努力したい。
つまり裁判などを起こす必要が無いような政治を遣りたい。
【屁理屈】
凡そ裁判の起因は欲望への不満である。“ひと”は自分独りの心の中にも、幾つもの欲望があり、それらには自分独りの心の中なのに、相い反する欲望もある。
欲望の自由を肯定する思想もあるが、幾億の欲望を抑えるためには、生物の本能である「力は正義」を根本に据え、漸くに不満を抑えている。
自由と言っても、自由が謳歌できるのは“力のある者”で、“力のない者”は、自分では自由と思っているが、結果として自由ではない。
力のある者にも、力のない者にも、自由がもたらされる為には、人人が自発的に自己抑制をする必要がある。
この思想は儒教であり、その根本は「謙虚」と「勤勉」と「慈愛」と「誠実」と「寛容」、即ち“仁”である。
子曰:
「聽訟,吾猶人也,
必也使無訟乎!」
顏淵: 孔子?:「審案,我跟別人一樣。我想做的是:使案件消失!」
顔淵第十二の第16章
“大物”は他人の善行には援助するが、他人の悪事や非行には援助しない。“小者”はその逆である。
【屁理屈】
尤もなことですが、目前の私欲を優先すると“小者”の行動に成ってしまいます。
“大物”だと思っていたのに、案外“小者”だったなあ・・・と気付くことも、珍しい事では有りません。
口から先に生まれてきたような“ひと”・・・・多いなあ・・・・
子曰:
「君子成人之美,不成人之惡。
小人反是。」
顏淵: 孔子?:「君子?助人取得成績,不促使人陷入失?小人相反。」
顔淵第十二の第19章
季康子が尋ねた!
不道徳な者を死刑にして、道徳のある者を助け導く、と云う政治の方法をどう思いますか?
孔子・・・
貴方は政治を行っている。その為に“人”を殺す必要はないでしよう。貴方が善を行えば、人民も善に同化します。
孔子・・・
支配者と人民の関係は、風と草のようなものである。
支配者が風で、人民は草です。
風が吹けば草は靡きます
【屁理屈】
此が通用するのは概ね大和民族(日本人)ぐらいでしょう。世界を相手にしたなら、中中に通用しないのが現実だ!
日本では古い時代から論語が読まれているが、其れは内容に同感する点が多いからである
読まれていない地域では、同感する人が乏しいと云える。
論語に此の記述がある。雍也 敬鬼神而遠之 為政 道之政。齊之以刑。民免而無恥。道之以徳、齊之以禮有恥且格 神様は尊敬するけれど神様に頼ることはしない。
神の怒りに触れるなどと、刑罰を以て窘めると民衆は巧く潜り抜けることを考え、恥を知る心を失ってしまう。
季康子問政於孔子曰:
「如殺無道,以就有道,何如?」
孔子對曰:
「子為政,焉用殺?
子欲善,而民善矣。
君子之コ風,小人之コ草。
草上之風,必偃。」
顏淵: 季康子問政:「如果殺掉惡人,延攬好人,怎樣?」孔子?:「?治理國家,怎?要殺人??如果?善良,人民自然也就善良。領導的品コ象風,群衆的品コ象草,風在草上吹,草必隨風倒。」
子路第十三の第1章
子路が政治家と其の心構えを質問した。
人民の先頭に立つことだ
そして人民に対する労りを忘れないことだ。
初めだけ意気込んで遣るのではなく、たゆまず精進を続けることが大切だ!
【屁理屈】
そうですね!
子路問政。
子曰:
「先之,勞之。」
請益。
曰:
「無倦。」
子路: 子路問政,孔子?:「身先士卒,教人勤奮。」子路請孔子多?一點。孔子?:「不要鬆懈。」
子路第十三の第5章
我が身を正しくしさえすれば、政治を遣るくらい何の難しい事があろうか。
吾が身さえも正しくすることが出来ないとすれば、人を正しく導くことなど出来るはずがない。
【屁理屈】
自分のこともまともに出来ないのに、“他人”のことをとやかく言える筈がない。
だがそう言う人は掃いて捨てるほど居る。掃いて捨てられるような人の話に同感する民衆もいる
子曰:
「苟正其身矣,
於從政乎何有?
不能正其身,
如正人何?」
子路: 孔子?:「自己身正,治理國家還會有什?問題?自身不正,又怎能讓群衆身正?」
子路第十三の第12章
たとえ真の王者が現われても、少なくも一世代を経なければ、民をあまねく仁に化することはできない。
【屁理屈】
信頼を得るには長い月日が必要である。依って信頼を損なうことは、新規よりも手数が掛かる。
子曰。
如有王者。
必世而後仁。
子路: 孔子?:「如果有英明領袖興起,一定要經過三十年才能實行仁政。」
文事武備
ぶんじあるものはかならずぶびあり
外交に優れている者は、必ず軍備も優れている。転じて、文武は一方にかたよってはならないということ。
【屁理屈】
文事ある者は必ず武備あり。昔も今も、外交と軍備は車の両輪の如くで、外交は軍備の後ろ盾が有ってこそ成り立つ。
平和を連呼するのは結構だが、軍事的後ろ盾が無い外交は現実には成り立たない。
泥棒さん来ないで!と張り紙をしても、警察が来なかったり戸締まりをしなかったら泥棒は入る。
泥棒は先方の都合ではなく、自分の損得勘定で入る。ただ何もない處には、草臥れ損だから入らない。
国際関係でも全く同じ。
定公十年春、及齊平。
夏、齊大夫黎?言於景公曰、魯用孔丘。
其勢危齊。
乃使使告魯爲好會、會於夾谷。
魯定公且以乘車好往。
孔子攝相事、曰、臣聞、
有文事者必有武備。
有武事者必有文備。
古者諸侯出疆、
必具官以從。
請具左右司馬。
定公曰、諾。
?平 … 和睦を結ぶ。
?好会 … 親睦のために開かれる宴。
?乗車 … 平時に使用する馬車。戦時は戎車。
?好往 … よしみを結びに往く。
?摂 … とりおこなう。
?相事 … ここでは会同の礼を補佐する長官の仕事。
?疆 … ここでは国境。
?具官 … 文武の官を備えて。
?司馬 … 周代の官名。六卿の一つ。軍事を司った。
?諾 … よし、わかった。
〔出典〕 『史記』孔子世家
子路第十三の第17章
子夏が魯の國の地方長官に成ったとき、政治の大切な点について孔子に尋ねた。
先ずは焦ってはいけない。焦れば上手く行くことも上手く行かなくなる。
小さな利益ばかりを追っかけてはいけない。詰まり小利に惑わされるな
小利に惑わされると、大事業が完成しない。
【屁理屈】
心に余裕がないと、目前のことに惑わされる。心が惑わされる原因に、知識不足で先のことが見えない。
自転車操業で余裕がないと、何れ大損をしたり、高利に填ったりする。
子夏為?父宰,問政。
子曰:
「無欲速,無見小利。
欲速,則不達;
見小利,則大事不成。」
子路: 子夏做?父的市長,問政。孔子?:「不要?求速度,不要貪圖小利。?求速度,往往達不到目的;貪圖小利,就做不成大事。」
子路第十三の第24章
子貢が孔子に尋ねた
村中の人から好かれる人物はどうですか
さあどうかな
其れでは村中の人から憎まれる人物はどうですか
何れも
村中の善良な人からは好かれ、悪い奴からは憎まれる人物には及ばないだろう。
【屁理屈】
誰にでも、どんな立場の人にも云えることだが、「批判されないと云うことは、何もしないと言うことだ!」
やっと当選したんだ!何もせずにそっと任期を迎えよう!
こんな知事さんが居ました。ただ報酬泥棒と時間泥棒は存分に行いました。何もしない事による損失は膨大だが、無智な民衆は清廉潔癖だと歓びました。
子貢問曰:
「?人皆好之,何如?」
子曰:
「未可也。」
「?人皆惡之,何如?」
子曰:
「未可也。
不如?人之善者好之,
其不善者惡之。
子路: 子貢問:「週圍的人都喜歡的人,怎樣?」孔子?:「不好。「週圍的人都討厭的人,怎樣?「不好。不如週圍的好人喜歡、週圍的壞人討厭的人。」
憲問第十四の第16章
「子路がいった。斉の桓公が公子糾を殺した時、召忽は公子糾に殉じて自殺しましたのに、管仲は生き永らえ却って桓公の政をたすけました。
こういう人は仁者とは謂えないのではないですか。
先師が答えた。桓公が武力を用いないで諸侯の連盟に成功し、夷狄の難から中国を救い得たのは、全く管仲の力だ。それを思うと、管仲ほどの仁者は滅多に居ない。
滅多に居ない。
【屁理屈】
総てに秀でた人物は居るのか?
恐らくその様な人物は居ないだろう。
其れなら劣るところと秀でたところを天秤に掛けて、評価することが妥当ではないのか?
ただ、仁徳に欠ける人物は対象外とすべきと思うが如何?
子路曰:
桓公殺公子糾;
召忽死之。
管仲不死,曰:
未仁乎?
子曰:
桓公九合諸侯。
不以兵車,管仲之力也,如其仁,
如其仁。
子路説:「齊桓公殺公子糾時;召忽殉死,管仲却去死。管仲不算仁人??」孔子説:「齊桓公九合諸侯,不用武力,都是管仲的功労。這就是仁,這就是仁。」
衛霊公第十五の第6章
子張が意思伝達の方法について尋ねた
嘘を言わない
謂ったことは必ず実行する。
此ならどんな野蛮な國でも意思の伝達は出来る。
その逆の場合には、自分の住んでいる地域でも意思の伝達は不可能だ
何時如何なる時でも、この二つを心掛けていること・・・此が意思伝達の秘訣だ
子張は直ぐさま自分の帯に書き留め、肌身離さなかった。
【屁理屈】
ただ此だけ守っていれば、相手も其れに同感するのか?と謂えば強ちそうとは限らない。
現実社会では、清濁併せ持つ・・・事が必要だろう。ただ自分の行為が、此は「清」此は「濁」と認識して、使い分けている事が肝要で、この分別認識を怠ると、ただの嘘吐きに成ることは必定である。
【屁理屈】の付け足しだが、実行すれば其れで免罪と成るのか?実行しても出来ないことは沢山ある。“実行する”は、希望値で有って、出来た!とは全く違います。
子張問行。
子曰:
「言忠信,行篤敬,
雖蠻貊之邦行矣;
言不忠信,行不篤敬,
雖州里行乎哉?
立,則見其參於前也;
在輿,則見其倚於衡也。
夫然後行。」
子張書諸紳。
衛靈公: 子張問什?是正確的行為,孔子?:「?話要忠信,行為要誠實,即使到了偏遠地區,也能事業順利;否則,即使在繁華都市,能順利??站立的時候,忠信誠實這幾個字好像就矗立眼前;坐車的時候,這幾個字好像就貼在車窗上。這樣到?都會暢通無阻。」子張將這話寫在腰帶上。
衛霊公第十五の第27章
多数の人が悪いといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。多数の人がいいといっても、必ず自分でその真相をしらべてみるがいい。
【屁理屈】
物事の真偽は数によるとは限らない。現代社会は情報に溢れていて、意図的に流布する情報も多い。
民主主義国家は民衆によって治められている。より安定した国家運営を為すには、長期的な視野で物事を判断できる能力が必要である。
民衆は目前の利に惑わされることが多いので、注意を要す。多くの国家が、目前の利に傾倒する民衆によって疲弊させられる。
子曰:
「?惡之,必察焉;
衆好之,必察焉。」
孔子?:「衆人厭惡的,必須仔細觀察;衆人喜歡的,必須仔細觀察。」
衛霊公第十五の第29章
人間こそ道義を広めることが出来るのだ!
道義が人を広めるのではない。
【屁理屈】
宗教は神の啓示として、判断基準を示すことは通常だが、孔子の思想は、人が自らの判断で行動を為す事を前提にし、他からの啓示に依るものではない。神道も同じである。
子曰:
「人能弘道,非道弘人。」
衛靈公: 孔子?:「人能弘揚道義,不是道義能壯大人的門面。」
陽貨第十七の第13章
俗人に評判がよい人は、偽善者が多い
【屁理屈】
俗人は目前の利益を優先する。
その結果として長期的な視野に基づく利は後回しになる。
俗人に評判を良くするには、目前の利を優先し、“行き当たりばったり”で、今美味しければ毒饅頭でも勧める。その後のことには責任を持たない。
子曰:
「?原,コ之賊也。」
陽貨: 孔子?:「老好人是敗壞道コ的人。」
陽貨第十七の第14章
道端で聞きかじったようなことを、右から左へ受け売りしているようでは、徳は身に付かない。
【屁理屈】
徳に限ったことではないが、聞きかじった話を寄せ集めて、物知り顔で話す人は、それ程珍しくはない。
こういう人は基礎的知識に欠けるので、寄せ集めの話が成り立たない事を理解できない。
何故その人は辻褄の合わぬ話でも、他人に話すのか?と、、、、話す人と同程度の知識しか持たない人が、真面目に聞くからである。彼等にとっては、馬鹿馬鹿しい話題ではないのである。
子曰:
「道聽而塗?,コ之棄也。」
陽貨: 孔子?:「道聽途?就是道コ敗壞。」
子張第十九の第1章
危険に際しては一命を投げ出し、利益を前にしても正義を踏み外さず、敬虔な態度で先祖を祀り、喪に当たっては哀悼の気持ちを失わない。
此が出来るなら、士として一人前だ!
【屁理屈】
現実にこういう人は居ます。“大物”だ!なあ・・・・
子張曰:
「士見危致命,見得思義,
祭思敬,喪思哀,其可已矣。」
子張: 子張?:「有志者應該見到危險時,奮不顧身;見到利益時,考慮道義;祭祀虔誠,居喪悲哀。這樣就可以了。」
堯曰第二十の第3章
君主たる者は、天命を自覚していなければならない。
礼儀を知らないようでは、世の中に自立することは出来ない。
相手の言葉を理解できないようでは、その人物を理解することは出来ない。
☆人間として孔子が示した三箇条の心得
【屁理屈】
自分が何故此処にいるのか、茲にこうしている!と謂う事そのもの者が自体が天命である。
相手を理解し尊重すること、此の心根とその態度が即ち禮である。
知識に乏しいと、相手の述べる趣旨が理解できない。
子曰:
「不知命,無以為君子也。
不知禮,無以立也。
不知言,無以知人也。」
堯曰: 孔子?:「不?得客觀規律,就不能做君子;不?得道コ規範,就無法建功立業;不?得分辨言論,就不能瞭解人。」