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余命 凡夫の泣き言 

 八十歳を傘寿と言うが、私も何時の間にかその年を過ぎて仕舞った。意識してこの歳に到達した訳ではない。 何時の間にかである。

 流石にこの歳になると、日常の義務としての仕事はない。毎朝の如く、さあ今日は……と言うことがないのだ。 かと謂っても、今日することはある。

 月に一回の病院通いと、週二回のグランドゴルフだ。

 その余は殆ど家に居て、老妻との雑談に耽る……、と言えば尤もらしいが、半世紀以上も寝食を共にし、同じ経験をしているから、何もかもが殆ど同じで話題に新鮮味はない。唯漠然と話しているという程度だ。

 此は近所の友人にも言える。甲君は何を考え何を言うか。聞かなくても殆ど全て分かっている。

 お互いに自分と話しているようなものだ。

 自問自答と殆ど変わりがないと謂える。

 年寄りはテレビと話をする……。と言われるが、其れは違う話題、違う価値観を求めれば、新聞かテレビに成らざるを得ないだろう。

 この記事を書こうとさせたのは、以下の一件にある。
腎臓病経過記

 腎臓病を自覚したのは、今迄近隣の診療所から市街の中央病院に転院してからのことである。今迄高血圧の治療のため診療所に通っていたのだが、頻尿が苦痛と成り泌尿器科がある中央病院へ転院したのだ。

 泌尿器科の医師は妻の友人のご主人だったので、多少の気まずさはあったが、病気なら致し方有るまい。

 診療所から医院に換えてから、院長の内科医から、血液検査の結果腎臓病を告げられ、食事の制限をしなさい。食事の指示をするから奥さんを連れてきなさいと再々言われた。

 それから数年、2020年春頃、院長医師から、私にはこれ以上の対応は出来ないから紹介状を書くから千葉西総合病院の上田誠二医師を訪ねなさい! と言われた。

 腎臓病は自覚症状が無いとは聞いては居たが、この時初めて病状の重大さを知ったのだ!

 千葉西病院では月二回の診療と投薬を続け居てたのだが、2022年7月、直ぐにシャント手術を為し、9月には血液透析を開始しなさい! と、告げられ術後半月して透析開始前の入院をした。

 日曜日にコロナの検査、月曜日に入院、火曜日から2時間の血液透析を受ける。水曜日も2時間、木曜日も2時間、金曜日は3時間。土曜日も3時間の透析を受け午後に退院となった。

 来週の火曜日からは、毎週火木土の各日午前九時から差し当たって3時間の透析を行いますから、必ず来て下さい。

 退院の日には妻に来て貰い、この話は二人で聞いた!
 この時も、透析の重大性を全く理解していなかったのだ。

 暫く治療を受ければ快復するだろう……ぐらいの認識だった。

 透析とはこんな具合だ……
 左手の動脈と静脈とは手術で繋がれ、左手に血液を吸い出す方と送り返す方の、血液の出入り口、それは楊枝ぐらいの針を二本突き刺して、血液を吸い出し、透析の機械に送り、機械から帰ってきた血液を静脈に送り返す仕組みだ!

 何が何だか解らないうちに3時間が過ぎる。

 是を火木土火木土火木土と続ける
 何と一日の長いことか、一週間の長いことか!
 何と一日の短いことか、一週間の短いこ 

透析をする病室には45床ある

  入り口の一郭にもう一床ある。入院時と透析を始めた頃の数回は、この施設を利用していたが、次いで本郷さんは31番のベットに寝転んで下さい! と指定された。

 注射針を抜き差しする看護婦さんは、矢継ぎ早に各ベットを廻り刺して歩く。
 とても早い、手っ取り早い。矢継ぎ早だ!
 会話をする余裕は無い。
 愛想は良いが、余計なことは話さない。
 毎回、医師が巡回する。
 聞きたいことが有っても中々話さない。
 しつこく聞いたら、一週間かなあ……。

 私の結論
 腎臓病は徐々に進行して 快復はしない
 血液透析は腎臓の機能代替処置と言うこと。
 透析を止めると言うことは、腎臓が無くなると言うこと。
 腎臓が無くなると、“ひと”は概ね六日で死ぬそうだ。

透析をしなければ、とっくに死んでいたと言うことだ

 よくテレビドラマで観る。 ガンになって余命3ヶ月。本人も家族も大いに苦しみ嘆く。でもこの時の余命は自分が決めるのでは無くて、閻魔様が決めるのだ! 本人にはどうにもならないのだ!

 処が、腎臓病は血液透析と言う延命処置のお陰で生き延びられるが、死ぬか生きるかの日時を決めるのは自分自身と言う事となる。

是の方が辛いぞ!
透析を止めるのは本人の意思
同意は妻の意思

 私の寝ているベットは何方かが、数日前まで居たベット。快復したのでは無くて死んだのだ……
 前回お世話になった時に居た2つ先のベットに今日は誰も居ない。
 

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