本文目次

緒言 序章 学問 交際 任務 処世 人生 補追
目次 索引 巻尾

現代論語 序章

 

敬称は省略させて戴きます

序章

 

序章−1

 

 茲に〈論語〉と銘打って、幾許かの解説を試みているが、“人”の生き様は各人各様で、同じ話を聴き、或いは読み、実体験を為したとしても、その理解は“ひと”が異なるのだから同じ筈がない。

 日本で刊行されている殆どの論語本は、古典漢語の論旨が懇切丁寧に解説されている丈で、著者から読者に對して、“ところでお前さんはどうなんだ!”とは、成っていない。

 読者は読者で、“嗚呼そうですね、誠に宜しいですね!”で終わって仕舞い、自分自身に置き換えて思考を繞らすこともなく、自分の血肉には成っていない。

 

 論語は二千五百年も前に編輯され、当時の“人”も“社会”も現代とは相当に異なると推察できる。

 依って文字だけを頼りに読んだとしても、論語の本質を知ることには成らない。依って先ず謂わんとするところを掴み取り、此を現代社会に当て嵌めることから作業をしなければならない。

 本書は、筆者自身が自分の人生経験と照らし合わせて、どの様なことが書かれているのか?を基点に筆を執った。見方によっては筆者の屁理屈でもある。

 

 理解にも深浅があり、どんな話を聴いても読んでも、現実には自分の経験以上の理解は得られない。かといって経験さえすれば、理解が得られるかと謂えば、そうとも言い切れず、本質的な理解は理論と経験の両方が備わったときに、初めて得られるのである。

 この事は誰にも云えることで、書いてあることが文面通りに読者の理解と為るかと謂えば、強ちそうではない。各人各様、境遇と経験とが相俟って理解されるのである。

 職業と物事の判断は殊の外鮮明で、職業が異なれば、ものの考え方も、交わる人も、家庭環境・・・・・・・も違い、その事は時代と地域に依っても異なり、著者の知る中国の友人は斯く謂う。「日本での論語理解は日本人の立場で解釈していて、日本の論語理解と中國の論語理解とは、其の内容が異なる」と。

 “陋巷閑話現代論語”を執筆するに当たり、記憶を頼りに心に残った、或いは人生を示唆した文言を拾い出し、独断と偏見で、此は学問、此は家属、此は交友、此は任務、此は處世、此は人生と六項目に集積分類した。

 次いで記憶が頼りでは心許ないので、参考資料として嘗て読んだことのある朝日新聞社刊中國古典選3論語掌中版と中國で出版されている現代人向けのテキストを併用した。

 

 「論語」は、孔子先生が○○と仰せになりました!と書かれているが、読む立場としては“孔子”が実在した時代と現在とでは、社会情勢も生活環境も経験も異なるのだから、其の儘の趣旨で受け入れられるとは限らない。

 “現代論語”と云う以上、孔子の考えを現代に置き換えて筆を進めたが、どの様に理解するかは各人各様で、“此は違うぞ!”と、異論を呈しなければ読んだ事には成らない。

 

 

 

序章−2

 論語は孔子の死後、記憶を頼りに師の遺徳を継ぐ後継者によって編輯された言行録で、その記述は言行の儘に編輯され、内容に因る分別編輯は為されていない。

 〈學而〉とは篇の名称だが、論語20篇の名称の付け方は無造作で、各篇の始の章の中から2字若しくは3字を充てたに過ぎず、例えば〈學而〉は “子曰、學而時習之、不亦説乎” から、學而 を採用し、 子曰、爲政以徳、譬如北辰、 は 爲政 を採用した。

 

 論語のテキストには「學而第一」と「尭曰第二十」と書かれた項目まで全二十項目が有り、更にそれぞれの項目には短文があり、合計すると五百十二の短文がある。そして前10篇を「上論」、後10篇を「下論」と呼んで区別したりもする。

 各編が全く内容について係わりがないかと言えば、多少こじつけを否めないが、強ちそうとも謂えない。

 

学而第一

為政第二

八?第三

里仁第四

公冶長第五

雍也第六

述而第七

泰伯第八

子罕第九

郷党第十

先進第十一

顔淵第十二

子路第十三

憲問第十四

衛霊公第十五

季氏第十六

陽貨第十七

微子第十八

子張第十九

堯曰第二十

16章 学ぶに関することが多い

24章 政治や君子に関することが多い

26章 礼儀に関する事が多v)4

26章 短い章句が多い

28章 人物評価が多い

30章 人物評価や智に関することが多い

37章 孔子の行動に関することが多い

21章 伝説の聖王や聖人の章句が多い

32章 弟子の孔子に関する記録が多い

23章 孔子の生活に関することが多い

26章 この編から成立の時代が下がる

24章 仁や政治に関する事が多

30章 政治に関する章句が多い

46章 特に纏まりがない

42章 最初の亡命先の衛國の記述から

14章 箇条書きが多い

26章 陽貨の記述が多い

11章 殷末期 周初期の人物が多い

25章 高弟のの言葉が纏められている

5章 他の編と体裁が異なっている。

 

 (半角数字は短文の數) 合計512章

 

 原文は中國版を用いたので、文は古典の儘だが、読むことを前提に編輯されているので、「?」や「,」や「;」「!」が書かれていて、日本で出版されている書籍より格段に読みやすい。

注;中國と日本では、章の順序がずれていたり古典底本も異なっているので、本旨が異なる程ではないが、日本版とは多少の違いがある。

 原文に対する日本語振り仮名は、現代中國版を頼りに、文の意味を読み取り、此を頼りに振り仮名を為した。

 なお古典文は読みにくいが、現代文なら読みやすいので、参考のために現代文と古典文とを並べて提示した。

 

 

 

序章−3

 論語の本旨は“ひと”と“人”とが穏やかに生きて行くための根本を説いた孔子の思想書だが、孔子個人の思想と儒教の思想とは、根本は同じだが多少ながら様相の異なりが窺える。

 孔子個人の思想としては〈孝〉〈仁〉〈禮〉の三要件が謂われ、〈孝〉とは子が親に対す純真無垢な精神を謂い、子自身の心底に内在する本質的な精神である。

 

 親は妊娠して子を出産し親から見て子は骨肉を同じくする自分自身であり、子から見て親は自分自身でもある。

 其れが時間が経ち歳月が経過すると、互に自分自身では無くなってきて、ここに親子の関係が謂われる。

 子は親を尊敬し親が死した後でも親を思い続ける心情が、即ち親を祀る行為に繋がる。

 孔子が“孝”を根底に据え、先祖崇拝を疎かにしない心情は、一に親と子の本質的な関係による。

 

 此は子が本質的に内在する純真無垢な精神で、親にはその存在を確認できるが、内面的な心情で目には見えない。

 子が親以外の他人に對しても、親に対す純真無垢な精神(孝)と同様な精神で、他人を思い遣る行為を〈仁〉と謂う。

 〈孝〉には目には見えない内面的な行為と、目に見える外面的な行為の両面があり、目に見えない内面的な行為を〈仁〉と謂い、目に見える外面的な行為を〈禮〉と謂う。

 〈仁〉は〈孝〉の精神で対応する人と、対応される人との間でしか判らないことで、目には見えない内面的な行為である。

 そして〈仁〉と〈禮〉とは、その成立要件が異なり、〈仁〉は〈孝〉を根底とする目には見えない精神的な行為であるが、〈禮〉は、〈仁〉を根底に据えた目に見える振る舞いとしての、外面的な行為である。

 依って、どんなに完璧な振る舞いでも、その振る舞う人の心底に、〈仁〉が無ければ〈禮〉とは謂えない。

 依って、〈孝〉と〈仁〉と〈禮〉の関係は、〈孝〉を根底にして、目に見えない内面的な行為として〈仁〉があり、目に見える形として〈禮〉がある。

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 〈論語〉と謂うと、孔子と儒教が謂われるが、孔子の思想と儒教の思想では多少の相違がある。

 何故ならば、孔子は自己の思想を時宜に応じて述べた丈で、体系化して布教した訳ではないが、孔子の死後に〈論語〉が編輯され、〈論語〉を底本にして幾つかの思想が定義された。

 歳月の経過と相俟って思想の整理が為され、体系化されて“儒教”としての思想家集団を形成した。

 この様な状況により、根底を為す思想は同じだが、思想の体系化に依って、幾つかの定義が追加された。

 

 孔子の場合は、子が親に対す純真無垢な精神を〈孝〉と定義して根底に据え、其処から〈仁〉と〈禮〉を定義し、天下国家にまで対応させたが、儒教の場合は親子の関係の〈孝〉から、他人に対する関係の〈仁〉に起点を移し、先ず〈仁〉を基点に据え、仁:禮:義:信:智と定義を増やし、民衆と国家の関係へと、対応を広範にした。

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 〈仁〉;子が親に対す純真無垢な精神を根底に、他人にも同様な精神で対応する精神

 〈禮〉;仁を実践したときの行為やルール

 〈義〉;私欲に惑わされない正義や正しい道

 〈信〉;信頼や信用など誠実であること

 〈智〉;人が修めるべき教養や知識を学ぶこと

 歳月を経て〈謙〉〈勇〉〈忠〉〈寛〉の定義が付け加えられたテキストもある。

 〈謙〉;謙虚で慎ましく控えめ

 〈勇〉;決断力

 〈忠〉;真心

 〈寛〉;寛容で心が広く、人の過ちを受け入れる

 

 〈孝〉〈仁〉〈禮〉の根本を為す思想は何か?と謂えば、誠意を持って対応されれば、自ずと相手も誠意を持って対応するようになる!

 誠意が積み重なれば、喩え悪意があっても、次第に悪意が減衰し善意が生育し、即ち此が性善と謂われる由縁である。

 だが、悪意を持って対応されれば、自ずと自己防衛本能に依って、悪意が芽生えるようになる。

 

 生物が“ひと”に成る以前から、綿綿と個体の保持と“種”の継承が為され、命脈を保ってきた。此を可能にしたのは、自己を防衛する能力である。即ち本能としての自己防衛である。

 「類は友を呼ぶ」と謂う言葉があり、此を自己防衛に当て嵌めてみると、同じ様な状況にある者は、複数集まると謂える。

 水族館で小魚が群れを成して遊泳する態勢は、本能的に自己防衛を為すには、多数の方が防衛に有効である事は生物の本能として機能している。

 水中陸上を問わず、群れを成す生物と群れを成さない生物は居るが、其れは単独或いは少数でも自己防衛が可能な生物と、単独或いは少数では自己防衛が難しい生物の違いである。

 ここからも状況の同じ者同士は、本能的に集まる傾向に有ることが推測される。

 なお生物が生存する環境に於いては、「善」とか「悪」とかの観念も区別も無く、有るのは“釣り合い”の要素である。

 善悪の概念は“人”の数が増えて社会を形成する時点で、社会秩序の一つとして成立した相当に後発的な概念である。

 

  悪意を取り除く方法に、「戒め」が謂われるが、人は戒められると、自己防衛本能によって戒めから逃れようとする。

 然し、逃れるという行為は、戒めの原因を消滅させるのではなく、あくまで、戒めから逃れているに過ぎない。

 

 

 

序章−4

 “人”が食物連鎖の頂点に達したとき、個体の保持と種の継承がほぼ安定して確保されるようになったので、“人”には新たに“他”との“比較”と謂う心情が芽生えた。

 “比較”には安定はなく、常に比較を充足させるために“貪欲”と言う心情が生まれた。そして“比較”と“貪欲”には、常に失う事への“恐怖”が付きまとう。

  生物が生命を維持するには、食物獲得の欲望は本来備わっている感情だが、ここに誕生した欲望は「過度な欲望(貪欲)」である。必要以上な欲望である。

 “人”は食物連鎖の頂点に達した事によって、“比較”“欲望”“恐怖”の際限ない精神的な膨張世界に入ってしまった。

 此の自己膨張を放置すれば、遂には人類が滅亡しなければ終熄しないで有ろう事は、古来の識者の知るところとなり、其の膨張を押さえ込む手段として、宗教が誕生した。

 押さえ込む方法には、罰を与えて止めさせる!方法と、自己防衛本能を活用して止めさせる!の二通り有り、儒教と神道は自己防衛本能を活用して止めさせる方法の一つである。

 

 

 

序章−5

 キリスト教の根幹は「キリストが発した言葉」で、其れを教義と謂い聖書がある。儒教の根幹は、「子が親に対す純真無垢な精神」で、其れを五常と謂い四書五経がある。

 

【屁理屈】

 〈孝〉〈仁〉〈禮〉を簡易に説明すると、子が親に対す純真無垢な精神を根底に据えて、自分と相手との関係について、肯定と否定や敵対と友好・・・・・などを含めて、真剣に考慮することが根底にあり、この事は相手を対等に評価する事となる。

 対等に評価する行為は即ち相手を尊敬することに通じ、理解できない相手としても尊重し、敵対者としても尊重する。

 良しに付け悪しきにつけ、それぞれに得るところはあり、それらには、良しに付け悪しきにつけ感謝に値する。

 孔子の思想は“ひと”対“ひと”が基本である。(数が増えれば“人”“衆”“郷”“國”にも成るが、その構成要素は矢張り“ひと”である。)

 “ひと”と“ひと”とがお互いに、合意・不合意・理解・不理解などを含めて、互に認識しあうことである。

 合意不合意、友好敵対、何れにしても互に認識するように務めることは、その行為自体がお互いの立場を尊重することでもある。

 尊重すると言う行為は、合意不合意に拘わらず、立場の如何に依らず互に認識することである。而して其処には自ずと得るものが生まれ、感謝に値する。

☆この思想は神道の思想にも通じる。

 

 

 

序章−6

 孔子の思想は純真無垢な精神で周囲に対応すれば、自ずと周囲も純真無垢な精神に近付く!

 此には何が必要かと謂えば、先ず物事の道理を知る必要がある。その為には先ず其れに相応しい知識が無ければならない。

 論語の各所に“學”と謂う文言が頻出する。其れはこの事を裏付けていて、論語の中では、一纏めに“學”と謂っているが、現代社会では“学ぶ”には二種類有る。

 即ち、実社会で必要とする技術や規範などの実学と、自分の心を豊かにする為の教養が有る。孔子の活躍した時代では、知識として学ぶことに、実学も教養も渾然一体となって、敢えて区別するほどの相違が無かったと思えるが、現代社会では、教養は歳月にそれ程の影響は受けていないが、実学の発展は著しく、膨大な情報量に拡大した。

 依って、敢えて“教養”として聲高に叫ばないと、膨大な実学の情報に埋没して仕舞う懸念がある。

 孔子の思想で最も重要な要件は幅広い知識と深い教養と実行力で有る。

 現代人の殆どには、幅広い知識は備わっているが、この幅広い知識の使い方を誘導するのは、寛く深い教養である。

 

 扨、我々凡人の心は市井に塗れて些か汚れているが、未だ汚れは心の奥底までは達して居らず、辛うじて心の奥底は、未だ児童の儘の“純真無辜”である。

 

 現代社会で、教養を身に付ける方法は多岐に渉るが、 論語で教養を身に付ける方法として屡々「詩」が謂われている。

 詩歌は創るにしても読むにしても、自分の心の奥底を覗く、窺う、対話する・・・・・、など、童子の頃の純真無垢な心の扉を開いてくれるのである。

 “詩”には、俳句も短歌も散體詩・・・・・などがあって、何も形式に囚われる必要もないので、一寸書いてみるのも、作詩としての効果は期待できる。勿論読むのも好かろう。 

 

 論語は古典漢語で書かれた書物だが、最初は木片竹片に書かれていて、文字も現代とは異なり発展途上の文字である。

 現在通用している書物も、内容はほぼ同じだが、日本では日本人好みに、中國では中国人好みに編輯されて、テキストを読む立場からすれば、中国語版の方がずっと読みやすい。

 何故かと謂うと、日本人は原文を読むことを前提にせず、ただ文字を看ているだけなのに對し、中国人は自分で読むことを前提にしているから、読みやすいように編輯されている。

 論語に使用される文字数は、頻繁に出て来る文字は500字余り、全部でも1500字で、日本の常用漢字が2136字ほどなので、高校生程度の識字が有れば、差ほど難しい読み物ではない。

 漢語文法は日本語文法と異なり、英語と同じ(主語+動詞+目的語)で、而も論語は古典書面語なので、句の構成は頗る簡単で、一句の文字数が少ないので、とても読みやすい文章である。

 読んだら自分なりに翻訳して、自分なりに解釈する。其れで充分である。

注;通称中國と謂われる国家は二つあって、現在の中華人民共和国(略称中國)は若い国家で建国が1949年10月である。

 もう一つの中華民国(略称中國)は1912年(大正元年)(現在は台湾省が中華民国である)に建国された中國で、それ以前には中國という国家が実在しないのに、中國三千年と謂うのは誤りで、謂うならば中華大陸とか、漢民族とか言うべきである。

 日本人は中国語と謂うが、彼等は中国語とは謂わずに漢語(漢民族の言葉と謂う意味)と謂い、漢語は概ね口語と書面語と古典語があり、会話に使う口語は、書面語や古典語とは些か趣を異にする。此は日本語の話し言葉と書き言葉が異なる状況と同じである。

【註】中国人は標準語を「漢語」と謂っていたが、日本人が「中国語」と謂うので、中国人同士の時は漢語と言い、日本人を交えたときは中国語と使い分けていた。現在では日本人と接触の機会の多い人は常に中国語と謂い、日本人と接触機会の無い人は漢語と謂っている。

 

 論語ばかりでは厭きるので、時折雰囲気を換える為に記憶を頼りに古典の幾篇かを、論語章句の間に挟み込んだ。

 又少しばかり “論語を読んだことがある!”と謂う気分を味わう人のために、文字を跨いで振り仮名を為し、訓読文を載せた。

 振り仮名は、文字配列に関わりなく、句毎の日本語読みを書き添えたに過ぎないので、漢語の読み方ではない。

 

 屡々“君子”と謂う言葉が出て来るが、此を書き換えると却って厄介なので、人格者、人の上に立てる人、などと置き換えた。小人の呼称も屡々出て来るが、現代に置き換えれば著者を含めて殆どが小人で、凡人凡夫程度に置き換えた方が妥当だろう。

 学問と謂う言葉が出て来るが、現在では生活のために必要とする知識、即ち実学と、人間性を高めるための知識、即ち教養があり、論語に出て来る学問は、実学と教養の区別はないが、概ね教養の要素が強いので、教養と置き換えた。

 

 孔子の本旨を簡単に言えば、真心を持って対応すれば、“ひと”も社会も国家も真心で対応するようになり、総てが穏便に治まると説く。此の心理は自己防衛本能の一つであり、「類は友を呼ぶ」に通ずる思想である。

 お互いに相手を知らぬ事から、行き違いが生ずることが多いので、お互いに自己の知識を高め、共に相手を良く知ることが出来るように務めなければならない。

 

 

 

序章−7

 人類が食物連鎖の頂点に立つことが出来た最大の要因は、言葉の発明である。

 言葉の使用により互に意思の伝達が出来るようになった。依って獲物に對して複数で対応することが可能となり、他の生物に對して優位に生存することが出来た。

 次いで文字が発明され、過去の情報も蓄積され、更に他の生物に對しても優位に生存することが出来た。

 この文字を持つ者と持たない者、此の差異を人間社会に置き換えれば、その差異は社会全体に広がり、冨の分配に多大な影響を及ぼした。

 以下は大まかな事だが、強ち誤りとは云えない現実でもある。即ち“人”に置き換えれば、知識量の多い者には、知識量に相応して冨の分配に与れ、国家の保持する知識量が多ければ、その国家はより多くの冨の分配に与れる。その国民は各々の知識量に応じて富の配分に与れる。

 扨、視点を漢民族に置き換えると、現在の中華人民共和国は若い国家で建国が1949年10月である。

【註】 もう一つの中華民国は1912年(大正元年)に建国された中國がある。一般には台湾と謂われている。

 

 中華人民共和国は1949年10月に共産主義革命に因って建国され、多くの改革開放が為された。

 其の最大の功績は文字の解放である。従来の文字は繁体字と言われ、読むにも書くにも繁雑で、多くの民衆に浸透するには無理があった。この容易に浸透しない文字の恩恵を受けていたのは、民衆の数と比べて極めて少ない知識人称する一握りの国民である。

 知識量の差は富の配分の差として、繁雑な文字が使われ続けることで、知識人と称する人達は、長く冨の配分の益に与った。

 1949年10月に共産主義革命に因って建国された中国政府は、概ね5万字有る漢字の中、通常使う概ね2千字(日本の当用漢字も概2千字)を簡単に読み書きできる“簡体字”に置き換えた。

 簡体字の創出普及こそが“文字の解放”である。

 この簡体字によって殆どの国民が読み書きが出来るようになり、有史以来知識人に独占されていた文字が全国の津々浦々に浸透し、国家の知識量は桁違いに増大した。

 文字の解放から50年を俟たずして国力は飛躍的に増大し、国民総生産値が日本を抜き世界第2位と成った。

 

 儒教の根本思想は「相手に敬意を払い誠意を持って対応する「仁」であり、“仁”に依る自己抑制から成り立つ。

 自由主義は自由な競争を基本とする思想で、競争には必ず勝者と敗者があり、その根本は弱肉強食の延長上にある。

 孔子は此の弱肉強食の弊害を打破する方法として、“仁”を説いた。其れはこの社会に要請されていたからに外ならない。

 論語には難しいことは何も書いてない。ごく当たり前のことを当たり前に述べているだけである。

 何度も読み返して、ご自分の血肉にして貰いたい!

 自分の都合もあるのだから、茲に書かれていることを全部守る必要はない。

 ただ一つ守るべき事がある。

 論語には○○○と書かれていたけれど、私は私の都合で、この様にしている!

 この事を何時も認識していることである。